本当に、「はめ込まれた状態」「はめ込まれた状況」というべきものがある。これは、本人は無視できなない。けど、きれいごとを言う人たちは、勝手に無視してしまう。そして、「できる」という説得をしてしまう。しかし、「はめ込まれた状態」「はめ込まれた状況」というべきものがあるので、うまくいかない。これは、無視する人たちが悪い。そして、なるべく、無視するような言語が説得の言語として選ばれるのである。「はめ込まれた状態」「はめ込まれた状況」というべきものは、無視してはいけない。けど、「はめ込まれた状態」「はめ込まれた状況」というべきものは、無視しないと、「できない」ということになってしまうのである。だから、「はめ込まれた状態」「はめ込まれた状況」をひとつずつ、ときほぐす必要がある。無視ではないんだよね。
あと、無理なものは無理だから。
ときほぐすとか言うと、無理なものを押し付けることだと解釈するやつが出てくるからこまる。
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認知療法家やポジティブ思考にとらわれている人が言う「困難」は「困難」じゃない。ぜんぜんちがう。「困難」の「困難」がちがう。それが、わからない。そういう種類の「困難」しか経験してない人は「それが」「困難」だと思ってしまう。「困難」という言葉の内容であらわされているものがぜんぜんちがう。
しかし、たとえば、困難Aと困難Bを両方とも経験した人が、困難Aと困難Bを使いわける(切り分けて考える)ということはできるのだけど、困難Aを経験したことがない人は、困難Aを困難だと思ってしまうのだ。話に聞く困難Bというものは、困難Aとおなじだと思ってしまうのだ。経験の範囲のなかで、困難Aしか経験したことがないので、その人のなかでは、困難と言えば、困難Aでしかない。 そして、困難Aが「困難」であるとしか思えない。