さっきまで晴れてたけど、いまは雷雨。豪雨。すげーな。これで、外壁が傷むのはいやだな。限界なんだよな。どうにかしなければならない。
あのとき、修理するべきだったのか。大規模修理。
けど、どうするんだ? 俺は二十歳の時の記憶があるからむりだ。
これも、激しく頭にくるんだよな。
ここには書けないことがいっぱいある。
けど、今日はついていた。「ハンコがいらないものは、玄関の前においてください」というようなことを書いた紙があるんだけど、配達の人が、いちおうピンポンを鳴らしてくれたんだよね。まあ、服を着て出るのにちょっと時間がかわるわけだけど……。で、まあ、そのときに、それとそれ以外の郵便物を家に入れておいたわけ。あれで、ピンポンを鳴らしてくれなかったら、雨が降ってきたということを確認したあと荷物をとりに行くわけだから、ちょっとはぬれるよね。雨が降る方向によっては、ぬれるんだよ。風もあるし。
* * *
二十歳の記憶についてだけど、
ほかの人たちの行動原理とぼくの行動原理はちがうんだよ。 きちがい家族にやられてめちゃくちゃになった。あのときの切れぐあいはない。おかしいんだよな。きちがいがずっと妨害しているのに、妨害していると気がつかない。
どれだけ言っても、気がつかない。
気がつかない状態でやりまくる。頭がおかしい。頭がおかしい家族にやられて、ぼくの人生が普通の人生ではなくなっていた。こういうところの「感覚のちがい」はじつは、でかくて、一般人にうけるようなことを、俺は書けない。
そりゃ、きちがい家族!……ふたり!!……を相手にしないですんだやつばかりだからな。普通に暮らせたわけだからな。学生時代をとおして普通に暮らして、就職して仕事をしているわけだから、まったくもって、ぜんぜんちがうということになる。リタイアするにしても、サラリーマンをしていた人が、サラリーマンをしているリタイア希望者に対してものごとを言うわけだから、最初からちがう。パイの大きさがちがう。
社畜あおりだって、『自分も社畜をしてましたぁ~~~』という前提で、社畜あおりをするわけだよ。社畜という言葉は、好きではないので特別な理由があるとき以外は、ぼくはつかないけど……。
彼らが社畜という言葉をとおして表現しようとしているのは、じつは、日本企業の商習慣だったりする。まあ、日本の企業文化だよね。
もうちょっと、くわしく言うと「昭和型・日本の企業文化」なんだよ。昭和型の日本企業で求められる行動様式について文句を言っている。昭和型の企業文化がもう通用しなくなったので、いろいろなところでほころびが出ているのだ。
昭和型の日本文化が通用する時代だと、愚痴は言ってたけど、けっきょく居心地がいいから、(やめないでそこで働き続ける)ということになる。
いまは、もうだめだよ。だから、「いちぬけた」とやめてしまうやつが出てくる。ようするに、「居心地が悪くなった」のである。
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ほかのやつらは、きちがい家族がどれだけの頑固さで、ひとの人生(別の家族の人生)を破壊するわかってない。