ヘビメタ騒音でぼくがつらい。ヘビメタ騒音でずっと地獄だ。ヘビメタ騒音でぼくが〇んじゃう。自分の人生がないまま〇んでしまう。ヘビメタ騒音がなかった場合の人生がぼくの本来の人生だと思うんだよな。
実際、ぼく以外の人間で、あれだけしつこいヘビメタ騒音を経験した人がいない。異常なんだよな。
けど、ほかの人は経験してないから、それが、どれほどひどいかわからない。ほかの人は、経験してないから、それが、どれだけ、影響を与えるかわからない。わからないのだから「(影響なんて)ない」のとおなじだ。本人にとって、実際にないことなのだから、「影響」なんて、無視できる。
俺の話を聞いたあとも、「そんなのは……」と思える。影響がないと思える。そんなことはないのだけど、そいつの頭のなかだとそうなんだろう。
そうなると、そいつは、自動的に俺のことをばかにするのである。善意で?言霊的なことを言ってくるのである。「過去のことなんて関係がない」と言ってくるのである。
これが、どれだけの地獄か。地獄なんだよ。
そういうことを言われる必要性がなかった。きちがい兄貴が、こだわりつくしてヘビメタを、一日に、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らさなかったら、こんなことになってない。
きちがい兄貴が、こだわりつくして、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、普通の家ではありえない、でかい音で鳴らしたのに、俺のせいだと言うのだ。「対処できなかったらしかたがない」「静かにさせることができなかったしかたがない」……「おまえのせいだ」「おまえのせいだ」……と言うのだ。
こいつら、〇〇。こいつら、〇〇。「過去のことは関係がない」「鳴り終わったら関係がない」「人間は働くべきだ」……おまえ、これがどれだけ、頭がおかしい発言か、わかっているのか? わかってないんだろうな。経験してないから、言えることなんだよ。
俺のみのうえに起こったことがまったくわかってない。きちがいやろう。死ね。けど、こういうことを書いても、「へんな人だ」「ヘビメタ騒音とかよくわからないことを言っている人だ」「(そんなに、人のことを憎んでいるなんて)こわい人だ」と思うわけだよ。
俺がヘビメタ騒音について説明すればするほど、そういう人が増える。説明しなければ、俺が勝手にさぼっているだけだということになってしまうのである。能力がなかったのだからしかたがないということになってしまうのである。根性がなかったのだからしかたがなということになってしまうのである。
人間の限界を超える騒音……。
こいつら、きちがい騒音生活がどういう生活なのかわかってない。どれだけ能力がある人でも、無能になる。どれだけ根性がある人でも、一五年も続けば、へしおれる。
これ、経験したことがない人はわからないのだろうけど、時間の流れというのがある。
ほんとうに、「つみかさなる」のである。ヘビメタ騒音による疲労がつみかさなる。ヘビメタ騒音による能力削減がつみかさなる。ヘビメタ騒音による、失敗がつみかさなる。ヘビメタ騒音による、トラブルがつみかさなる。他人の無理解というのはあるけど……。
そりゃ、きちがいである「わかった家族」がやることだから、ほかの人にはわからない部分がある。「しつこさ」「がんこさ」ということだって、ほかの人にはわからない。そういう、「しつこさ」「がんこさ」がもとになって、どういう態度がしょうじているかほかの人にはわからない。
ほんとうに、きちがいが、意地を通してしまう世界なのだ。
殺さなければ、鳴りやむということがない世界だ。
そういうことがわかってない。
そして、そういう一日がどういう一日であるかわかってない。