過去のことは、頭のなかにしかない……過去のことは過去の記憶にすぎない……という考え方がある。この考え方を敷衍すると、過去のることで悩んでいる場合、過去のことを忘れれば、悩みがなくなるという考えに行きついてしまうのである。
けど、そうだろうか?
ぼくはちがうと思う。
この、「過去は記憶でしかない」というような言い方が、そもそもまちがっている。過去のできこどか、脳みそを含んだ体に影響を与えているのであれば、脳みそを含んだ体の影響がなくならないのであれば、「過去の記憶」がなくなったとしても、脳みそを含んだ体の影響によって生じた問題は片づかない。
過去は記憶のなかにしかないという考え方がまちがいなのである。過去の出来事は、記憶だけではなく、脳みそを含んだ、さまざまな体の部位に影響をあたえる。あたえてしまっている以上、その人が「過去の出来事」を忘れても、過去の出来事の影響下にあると言っていい。
過去は、頭のなかにしかない……という考え方自体がまちがっている。
たとえば、ある人が、二〇二一年に認知症になったとしよう。そして、二〇二一年の時点では、自分が認知症だという自覚があったとしよう。また、自分が認知症になってしまったということについて悩んでいたとしよう。そして、二〇二三年に、認知症であるという自覚がなくなったとしよう。自分が認知症であるということで悩んでいたその人は、認知症であるという自覚がなくなり、認知症であったという過去の記憶がなくなれば、認知症であるということから生じる現在の問題を解決した言えるのだろうか?
現在の時点で認知症で、あれば、認知症であるということから生じる問題は生じる。たとえ、過去のある時点において認知症だったという記憶がなくなったとしても、現在の時点で認知症なのであるから、認知症であるという問題は存在する。
しかし、そういう場合でも、本人が過去のことにこだわらなければ、問題はないと考える人たちにとっては、解決済みの問題になるのである。
どうしてなら、過去の出来事について悩んでいる場合、過去の出来事は頭のなかにしかないからだ。過去の記憶に……にすぎないのだから、記憶を失えば、効力を失うのである。
過去の出来事に関する記憶を失うか、あるいは、過去の出来事に関する解釈をかえれば、「記憶にしかすぎない」のだから、問題は解決してしまうのである。
しかし、解決しない。
身体が残る。
この身体というのは、脳みそを含んだ体のことだ。脳みそは「記憶」だけしているわけではないのだ。
たとえば、度重なる騒音によって、睡眠に関する能力と、体力に関する能力に障害が生じた人がいるとする。この人にとっては、騒音の記憶がなくなったとしても、睡眠に関する能力と、体力に関する能力問題は残る。睡眠に関する能力に関しては、単に睡眠障害と言ってもいい。体力に関する能力に関しては、わかりにくいと思う。
この体力というのは、体力測定で測れるような体力とはちょとちがう。言ってみれば『生活体力』と言えるようなものだ。ようするに、ものすごくつかれやすい体になってしまったということだ。つかれやすさの問題というのは、ほんとうは、ある。あるけど、根性論や努力論によって無視されてしまう。
それに、「つかれやすさ」という問題は、脳みそのなかの問題のように、他人にはわかりにくいものなのだ。ようするに、外から見てわかりにくい問題だということだ。右手がないというような身体的な障害の場合は、外から見てわかりやすい。
なので、右手がない人に向かって、右手を使うような行為を強制する人はいない。あるいは、無視できるほど少ない。しかし、身体のつかれというのは、本人にしかわからない部分がある。ものすごくつかれている人に対して、「もっと動くこと」を要求する人は多い。逆に、「つかれ」が身体的な特徴や動作的な特徴に現れるということも多い。
ただし、この場合も、客観的に見た身体的な特徴や動作的な特徴が、そのまま、本人の主観的な疲労(つかれ)の認知と一致するかどうかはわからない。
「つかれ」と「疲労」という言葉を使ってしまったけど、ここでは、「つかれ」と「疲労」は完全に一致するものとする。また、本人の主観的な疲労(つかれ)の認知と本人の疲労(つかれ)自体は完全に一致するものとする。ようするに「つかれ」というものは、目に見えないので、脳みそと神経の問題としてあつかうことにする。疲労自体と易疲労性はもちろん、区別して考えなければならないけど、つかれやすい人は常につかれているとする。
その場合、たとえば、睡眠障害と駅疲労性によって、通勤・通学ができないということがしょうじる。睡眠障害と易疲労性がある場合は、その睡眠障害と易疲労性が、長期間の騒音によってもたらされたものであり、なおかつ、その長期間の騒音が終了しているにもかかわらず、身体的にくるしいということがしょうじる。
ようするに、頭のなかにある「過去の記憶」を消しても、睡眠障害と易疲労性は残る。
過去のことは、頭のなかにしかない……という考え方はまちがっている。
過去のことはすべて、記憶でしかないことだから、過去の記憶を消せば、過去のことが原因で生じた、さまざまな身体的な障害が治ってしまうということはない。身体的な障害のなかには、脳みそや神経がかかわってる障害も含まれる。