ヘビメタ騒音以降の世界だけど、「やりたかったこと」が「憂鬱で憂鬱でやりたくないこと」になってしまうのである。これ、言いようがない。「じゃ、やらなければいいじゃないか」ということになるのだけど、やらないで、何十年もたったのが、俺のいまの姿だ。いまの状態だ。これ、ほんとうに、ちがうんだよ。わからないかもしれないけど、ちがう。これ、ちがうんだよ。けっきょく、きちがいヘビメタ騒音に毎日やられなかった人は、やらなかった人の世界を生きている。これ、ちがうんだよ。意識的な意志で「楽しもう」と思ってもむだなんだよ。きちがいヘビメタ騒音にやられたからだがある。きちがいヘビメタ騒音にやられた脳みそがある。脳みそは、当然からだの一部だ。けど、ほかのからだの一部とはちがうところがある。意欲に直結している。思考に直結している。認知・認識に直結している。脳が感じている世界が、「この世界」だ。意識的な意識は、脳みその、一部によって生成される。あくまでも、脳みその、一部。ほかのところがある。脳みそなのに、意識的な意識では、制御できない部分がある。これは、考えてみれば当然なのだけど、「意識的な意識教」の人たちは、意識的な意識を生み出す脳の一部は、それ以外の脳みそを、自由に制御できると思っている。これは、宗教的な信仰なのである。脳科学などというけど、宗教。たんなる、信仰の世界。すくなくても、ぼくには、「意識的な意志」では制御できない部分がある。「意識的な意識」をうみだす脳みその一部よりも、それ以外の脳みそのほうが、でかい。実際に、物理的にもでかいだろうし、(自我全体に対する)影響力もでかい。 意識的な意識を生み出す脳の一部は、それ以外の脳の、基盤の上に成り立っている。基盤のほうが、本質的な影響を与えて当然だ。よく眠っていなければ、寝不足の影響を不可避的に受ける。けど、こいつらは、それを認めない。「睡眠は、意識的ない意志で、どうにでも制御できる」「自分のことなのに自分が制御できないということはない」と「信じ込んでいる」。しかし、騒音などの外部の影響により、睡眠時間が少なく、睡眠の質がよくない場合は、やはり、脳がその影響を受ける。どれだけ、「意識的な意識」を生み出す脳の一部が、「寝不足の影響なんてない」「自分は睡眠を制御できる」と言い張っても、影響を受ける。こんなのは、ほんとうは影響を受けているのに、本人が、「いじになって」影響を無視しているだけだ。科学的な世界ではなくて、信仰の世界だ。