以降、思考断片
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「金持ちは、金持ちの家の子供として生まれたから、運がいい」と言えるか? 「運」ということを考えると、じつは、言える。けど、この運は、それ以降の運とわけて考えたい。
最初のこの運で、だいたいのことが決まってしまう。
どういううちに生まれるかという要素のほかには、「才能」という要素がある。
「才能」というのは、「能力」と言ってもいいのだけど、能力だと言葉がきつくなるので、「才能」と言うことにしておく。
「お金」と「才能」が決まってしまうと、それ以降の「運」がだいたい決まってしまう。「金持ち」×「才能・あり」だと、白玉が出やすく、「貧乏」×「才能・なし」だと黒玉が出やすい。
「お金・普通」×「才能・普通」だと、白玉と黒玉が半々ずつになる。なかなか、これをかえられない。容姿は才能のなかに含むとする。あとは、社会のレールからはずれたあとの時間の長さが問題になる。
これも、「お金」と「才能」のかけ合わせで、出てきてしまうようなところがある。社会のレールからははずれた期間を「ブランク」と呼ぶことにする。この「ブランク」というのは、「お金」と「才能」の従属的な要素なのだけど、日本のような社会だと、それ自体がものすごい効力を発揮してしまう。
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もちろん、金持ちでも、不幸はある。人間は誰でも死ぬので、死という黒玉が最後に出るということは、金持ちも貧乏人もかわりがない。それに、最初は金持ちでも、途中で貧乏になることがある。それならば、ぼくがずっと語ってきたことは、成り立たないのか? ぼくが抽選機のたとえをもちいて語ってきたことは、ひとつのことを説明するためのモデルだ。
だから、完全に現実に対応してなくてもいい。もちろん、親が途中で貧乏になれば、最初は金持ちだった人も、金持ちではなくなる。
カネモッチーだって、いろいろな不幸なことはある。超・カネモッチーだっていろいろな不幸なことはある。だから、ぼくが言ったことは全部、無意味か?
そうじゃない。そうじゃないんだ。
最初にセットされた要素が、最後まで、影響を与える傾向があると思う。
あくまでも、「傾向」。
例外はある。
たとえば、ビンボッチだけど、情報商材で金をつくって、その金を投資してカネモッチーになる人もいる。この情報商材が詐欺的な情報商材でも、ビンボッチからカネモッチーになったということが事実なら、ビンボッチは貧乏エリアの抽選機しかまわせないのではなくて、貧乏エリアから金持ちエリアに移動して、金持ちエリアの抽選機をまわせるということになる。これは、最初の前提とはちがう話だ。
だから、ぼくが言ったことが否定されるか?
いやいや、否定されない。「傾向がある」と言っているだけだからね。
例外というものについて考えるとモデルがどんどん複雑になる。
そうなると、なにを言いたいのかということがぼけてしまう。ぼくがなにを言いたいかというと、いままで、二回ぐらい説明したことを言いたい。もう、書かないけど、言いたいことは、そういうこと。