精神世界のセミナーは、ほとんどが、アトラクションやショーみたいなものだ。これは、ディズニーランドのアトラクションと同じなのである。
だから、セミナー会場を出てしまうと、効力を失う。
けど、はめ込まれている人たちは、ショーでも見ないとやってられない状態なのである。ショーはショーでも、「方法を教わる」ということだから、自分が主人公になれるショーなのだ。
もちろん、セミナーの主人公は、セミナー講師や主催者だ。
けど、方法を教わって、現実世界に戻れば、自分が主人公なのである。だから、あたかも、その方法が有効であるような気分でいられるのである。次の日、会社に行くまでは……。仕事場に行くまでは……。
しかし、会社や仕事場では、自分の地位や自分のやるべきことが決まっている。なので、ショーで教わった方法を試みることが、そもそもできないという状態になっている。ショーで教わった方法についてよく考えてみよう。
ショーで教わった方法というのは、全部が全部、幼児的万能感に根ざしたものだ。
だから、幼児期に、自分が採用していた方法なのである。
しかし、「潜在意識」とか「宇宙意識」とか「波動」とか「引き寄せ」とか「関心」とかという、衣をまとっているので、それが昔自分が採用して放棄した方法だとは気がつかないのだ。
まず、この人達……ショーの人たち……セミナーの人たちは、すべての現実は自分が選んできたものだという理屈を押しつける。これは、ものの見方だ。ここでやっていることは、「はめ込まれた状態などはない」ということを押しつけて、一時的に、縛りがない状態にするということだ。
縛りというのも、自分が勝手に選んで、縛っているだけだという言い方になる。
この場合の縛りというのは、会社に行ったり、会社で期待された行為をして働くということだ。あるいは、夫であるなら、夫としての役割、妻であるなら妻としての役割を、一時的に忘れるということだ。
本当は、そういうものがないと、人間は普通に暮らすことができないのだけど、セミナー会場では、一時的に、そういう縛りから自由になるのである。
過去の否定、過去の無視、過去の過小評価も同じ理屈で必要になる。「はめ込まれている状況」なんてないんだよということを、印象づけようとしているのである。
ようするに、自分が選び方をかえれば、現実がかわるという理屈を説明するために、まず、すべては自分の選択だということと、はめ込まれた状態などというものはないということを、説明するのである。
これは、催眠術みたいなものだ。ほんとうは、自分が選んだことではないことも、自分で選んだということにしてしまう。どの地域に生まれかということや、どういう親のもとに生まれるかということは、自分が選んだことではない。
これも、前世を出せば、どういう親のもとに生まれるかも自分が選んだことになるということになるのだけど、前世はあるのかということが問題になる。前世という前提を信じないと、自分で選んだという結論も信じられないということになる。
けど、そういうところに行く人は、前世というような考え方が好きなので、抵抗なく信じるのだろう。
実際には、本人が選択したことではないことまで、本人が選択したことにされてしまうのだ。まず、ここに、嘘がある。その嘘は、強烈な効果を持つ。はめ込まれた状態のなかで、本人の選択が限られたものになっているということは認めない。そういうことは、絶対の意地で無視するのである。
はっきり言ってしまうと、自分にとって都合が悪いことは無視するということも、幼児的万能感の根幹をなす性質だ。自分にとって都合が悪いこというのは、自分にとって都合が悪い現実を含んでいる。
「現実」という言葉の持つ意味が、セミナー会場と、会社では、一八〇度かわってしまうのである。
基本的には、セミナーで教わる方法というのは、自分が幼児期に採用した方法だから目新しい方法ではない。しかし、それを、目新しい方法に見せかけるために、いろいろな用語を持ち出すだけだ。
ようするに、もともと、自分が知っていた方法しか、教わらないので、その方法では、「世界」はかわらない。自分が放棄した方法なのである。
どうして放棄したかというと、その方法が役に立たなかったからだ。
はめ込まれた状態のなかで、役に立たなかった。
一時的に、幼児的な思考に戻されて、なんでもできるような気分になっているだけなのである。セミナー会場から出れば、ディズニーランドから出たように、魔法がとけてしまう。