「感謝をしてまわせば、白玉が出る」と言ったあとに、 「素直に人の話を聞くということがだいじ」とカネモッチーが言ったとする。その場合、「感謝をしてまわせば、白玉が出る」という助言を素直に聞いて、それを実行するということが大切だということを言っているわけだ。
ビンボッチが、この助言を素直に聞いて、実行したとしても、一〇回に一回ぐらいしか、白玉が出ない。
助言を聞いたあと、感謝をしてまわしたところ、白玉が出たとする。ビンボッチは、よろこぶだろう。「感謝をしてまわすと白玉が出るんだな」と思うだろう。
しかし、二回、三回、四回、五回……一〇〇回、二〇〇回と回数を増やしていくと、やはり、一〇回に一回ぐらいしか、白玉が出ないということに気がつく。
もともと、ビンボッチがまわすガラポン抽選機には、九〇個の黒玉と一〇個の白玉が入っているので、感謝してまわしても、感謝せずにまわしても、だいたい、一〇回に一回白玉が出ることになっている。
実際に、何回も、黒玉が出れば……「感謝をしてまわしても、白玉なんてほとんど出ないじゃないか」……と思ったりする。
なので、「素直に助言を聞いて実行しても、結果なんてかわらないじゃないか」と言ったとする。
ビンボッチは、ほとんど毎回、黒玉が出るので、こまっているのである。本当に有効な情報がほしいと思っている。
しかし、有効ではない嘘情報を聞いてしまう。そして、素直に嘘情報を実行した。
なので、ほんとうは、ビンボッチは、せめられるようなことをしてない。せめられるべきは、嘘情報をながしているカネモッチーとその信者だ。
しかし、「素直に助言を聞いて実行しても、結果はかわらないじゃないか」とビンボッチが言ってしまうと、「ビンボッチは素直じゃない」ということになってしまうのだ。
カネモッチーの助言が役に立たなかったということを言ってしまっているわけだから、カネモッチーの信者は頭にくる。
「素直に実行しないから、だめなんだ」とカネモッチーの信者はビンボッチをせめる。ビンボッチはせめられる。
素直に実行したのに、黒玉ばかり出るから、「素直に助言を聞いて実行しても、結果はかわらなかった」と言っているのに、それが素直じゃないと言われるのである。
「人の言うことを素直に聞いて、ためしてみるということをしないから、黒玉ばかり出るんだ」と言われるのである。
ビンボッチが「いや、ためしたんだよ」と言ってもむだだ。「ビンボッチが素直じゃないから、黒玉が出る」というようなことを言う人たちが多数、あらわれることになる。
カネモッチーを信じている人にしてみれば、感謝をしてまわせば、白玉が出るというのは、確かな方法なので、感謝をしてまわしても、黒玉ばかりが出るということは、受け入れられないことなのである。「そういうネガティブなことを言うから、黒玉が出る」と信者たちが言い出す。
自分が信じている方法を否定するビンボッチは、「素直な人じゃない」のである。……信者からすれば!!
「素直じゃないからだめなんだ」と信者がビンボッチを攻撃する。
ビンボッチは、素直に言うことを聞いて、何回も何十回も何百回もこころみたのである。こころみた結果、「黒玉ばかりが出る現実がかわらない」と言っているのである。
しかし、信者たちは、「ネガティブなことを言うな。ネガティブなことを言うから、だめなんだ」とだめだしをする。
「感謝をしてまわせば、白玉が出る」というのは、嘘。真か偽かで言えば、偽。白玉を出す回数を増やす方法、あるいは、白玉が出るようにする方法ではない。信じるのは勝手だけど、嘘情報だ。
さらに、ビンボッチが、素直に言うことを聞いて、「感謝をしてまわしていた」のは、事実。「感謝をしてまわしていなかった」ということはない。
しかし、黒玉ばかりが出るので、信者たちから見ると、「感謝をしてまわしてない」ように見えるのである。
本当に感謝をしてまわせば、白玉が出るのに、黒玉が出るということは、じつはそのビンボッチが感謝をしてまわしてないからではないかと、信者たちは思ってしまう。そういう疑念が信者たちの胸のなかにわきあがる。
そういう解釈をしたい気持ちが信者にはある。……カネモッチーの発言をぜんぶ、信じているのだからそうなる。
感謝をしてまわしていたのに、黒玉ばかり出るということは、信者にとっては「おかしなこと」なのである。「感謝をしてまわした」というビンボッチの報告よりも、ビンボッチが感謝をしてまわしてないから、黒玉ばかりが出るという解釈のほうを信じたくなる。
ビンボッチが、感謝をしてまわさなかったから、黒玉ばかりが出るということにしておけば、カネモッチーの言ったことは、正しいということになる。なので、そういう解釈をしたほうが気持ちがよいので、そういう解釈を採用する。
ビンボッチは、感謝をしてまわしてないからだめなんだということになってしまう。ビンボッチは、黒玉ばかり出るというネガティブなことを言うから、だめなんだということになってしまう。ビンボッチは「感謝をしてまわした」と嘘を言っているということになってしまう。
何回もやって、だめな方法なら、そのうちやらなくなる。けど、ビンボッチが、「もう、感謝をしてまわしてない」と言えば、時系列的なことを無視する信者たちは、「そら、みろ。やっぱり、感謝をしてまわしてないんじゃないか」「だから、だめなんだ」と言う。
ビンボッチが「いや、むかしは感謝してまわしていた」「何回もためしてみた。実行してみた」と言ってもむだだ。「感謝がたりてない」とか「本当は感謝してまわしてなかった」とかということを、信者たちが言って、おしまいだ。
もう一つ言っておくと、ビンボッチは、信者たちにとって不吉な存在なのだ。「感謝してまわしても、白玉が出なかった」ということを言ったときから、不吉なことを言う存在だと思われる。
出なかったから、出なかったと言っているだけなのに、けがれた存在だと思われるのである。そもそも、「黒玉ばかりが出る」というのは、ビンボッチがけがれた存在だからではないかというような疑念が、信者たちにはある。 ここで、いわれなき差別が発生する。
本当は、精神世界系の人たちは、こういう差別を撤廃する方向でがんばらなければならない存在だ。そういうしくみを理解しなければならない存在だ。
けど、やることは、差別なのである。そういうしくみというのは、黒玉ばかりが出る抽選機しかまわせない人たちがいるにもかかわらず、そういう人たちが差別されるしくみだ。 黒玉ばかりが出る抽選機しかまわせないのは、じつはビンボッチが悪いわけじゃない。しかし、ビンボッチが悪いということにされて、そういうことを言われるという現実が発生してしまう。