前回、前々回の投稿においては、「きついこと」と「つらいこと」は同じ意味だと思ってください。
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「自己肯定感が高いから人生を楽しむことができる」のではなくて「人生を楽しむことができるから、自己肯定感が高くなる」のではないかという疑惑ということについてもうちょっと考えてみようかなと思う。
きちがい毒親との交流を考えてみた場合、あるいは、きちがい毒親との交流の「つみかさね」を考えてみた場合、きちがい毒親は、普通の人が理解できないきちがい的な理由で怒り狂う。怒り狂って攻撃してくるわけだから、これは、楽しくない。おもしろくない。腹が立つ。楽しくなくて、おもしろくなくて、腹が立つ、不愉快な、交流なのである。
これは、そういう交流にならざるを得ない。
これを楽しくて、おもしろくて、腹が立たない愉快な交流だと思いなおすのはむりだ。きちがいがどういう理由で、荒れ狂うか、ほかの人たちはわかってない。そして、これは、きちがいの頭の構造がかわらない限り、繰り返し、発生することなのである。
繰り返し!!!というが、重要だ。
「たまたま」起こることじゃないのだ。
これも、きちがい毒親といっしょに住んだことがない人にはわからないことだ。で、問題なのは、きちがい毒親と一緒に住んだことがない人のほうが多いということだ。なので、この人たちの常識が、「正しいこと」として流布されてしまうのである。
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日本国にはおいては、ニートはディスってもいいということになっているらしい。同様に、引きこもりもディスっていいことになっているらしい。同様に、無職もディスっていいことになっているらしい。
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ともかく、ヘビメタ騒音で、全部ない。あれ以降、すべてが苦痛。今日もめちゃくちゃにさみしい夢を見た。ほかの人にはわからない。経験してないから……。だから、わからないのだから、俺のなかのヘビメタ騒音なんて無視する。ヘビメタ騒音の影響なんて無視する。無視して、本人にとって、あたりまえのことを言う。そのあたりまえは、俺にとっては、あたりまえじゃない。きちがいヘビメタ騒音でふっとんでいる。きちがい兄貴の態度でふっとんでいる。たとえば、遅刻だ。これは、ヘビメタ騒音を、あの音のでかさで、あの態度でやられれば、人間なら、だれだって、遅刻せざるを得ない状態になる。そりゃ、一日ならいいよ。けど、一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日と、つみかさなったらどうだ?
絶対に遅刻せざるを得ない状態になる。
けど、ぼく以外の普通の人は、せいぜい、三〇日ぐらいで、三〇〇〇日なんて経験してない。そうなると、「みえるせかい」がちがう。どれだけがんばったって、できない世界に移行する。けど、きちがいヘビメタにやられてない人は、それがわからない。みえない。なので、本人が見ている世界の基準で俺を批判する。「そんなのは、あまえだ」「みんな、眠たいのに起きて、遅刻しないようにしている」と言いやがる。それは、きちがいヘビメタが三〇〇〇日続かなかった場合の話だ。きちがいヘビメタが五〇〇〇日続かなかった場合の常識だ。そんな常識は、実際に五〇〇〇日続いてしまった俺にはない。とっくのとおに、ないんだよ。きちがい兄貴を、一日目に静かにさせることができなかった人以外、俺に、そういうことを言う権利がない。けど、それも、俺の世界では常識だけど、ほかの人の世界では、常識ではない。それは、五〇〇〇日やられた場合の、体力状態を知らないからだ。自分が経験してないので、わからない。自分が経験してないので「ない」ということになってしまっている。あまいのは、きちがいヘビメタにやられずに生活している人だ。そのあまい連中から、俺が、あまえているように言われるという状態が発生する。そりゃ、「ヘビメタ騒音でどうしても遅刻してしまう」と言えば、「しらないやつら」はそう思う。だから、きちがい兄貴は、きちがいヘビメタを、絶対の意地で、やり切るようにすることで、俺をそういう状態に追い込んでいる。きちがい兄貴のやり方じたぃが、よその人にはまったくわからない。よその人には「ありえないこと」なんだよ。だから、よその人の常識のなかには、「ない」ことだ。だから、「ない」という前提で、俺のヘビメタ騒音を無視して、勝手なことを言う。ここにおいて、普通の人が、きちがい化してしまうのである。俺のなかで……。常識のなかではない。それは、妄想をいだくものが「ない」と言っているのとおなじだ。俺の言うことを無視して、きちがい兄貴は、きちがいヘビメタを「常識的な人が絶対に理解しない」やり方でやった。きちがい兄貴がやったことが、きちがい兄貴の脳内のなかでは、あたりまえのことなのだけど、これは、妄想者の「あたりまえ」だ。だから、現実がゆがんでしまうのである。ようするに、普通なら、俺、きちがい兄貴、よその人で、おなじ現実を見ているはずなのに、きちがい兄貴の「頭のバグ」によって、きちがい兄貴の「妄想の世界」が、現実化されてしまうのである。そうなると、よその人から見て、俺が現実の世界だと感じている世界が、俺の「妄想の世界」に見えるのである。なので、俺の言っているヘビメタ騒音や俺の言っているヘビメタ騒音の効果は、そいつらのなかでは、無効化される。「ない」こととしてあつかわれる。そんなのは、エイリさんのなかの妄想にすぎないというわけだ。そんなのは、あったとしても、影響がない。あったとしても、遅刻しないで通えるということになる。そりゃ、ない人の世界ではそうだけど、ある人の世界ではちがう。ほんとうに、自分が経験してないことについては、想像力が働かないな。こいつらは、どれだけ俺が言っても、「必然性」が理解できない。理解できないなら「そんなのは影響がないことだ」ということになってしまうのである。そいつらの頭のなかでは……。