人間は、意識があるのに、死にゆく存在なので、基本的に不安だ。この不安は、ぬぐいようがない。こういうことは、なるべく意識しないようにして暮らすしかない。
自分が、なんらかのことに夢中になっているときは、その楽しい時間がずっと続くような錯覚がある。しかし、実際には、疲れて眠ることになる。
これも、人間のしくみなので、しかたがない。
ずっと楽しい時間が続けばよいのだけど、眠りたくなる。ずっと夢中になってる状態が続けばよいのだけど、途中で、疲れて集中力がとぎれる……ときがくる。けど、これも、「生物」としてしかたがないことだ。そういう、生物的な基礎の上に、人間のからだが成り立っている。
これは、すなわち、そういう、生物的な基礎の上に、人間の意識が成り立っているということだ。
人間は不安だから、それに対抗する心理的なしくみを持っている。それが、幼児的な万能感だ。これ、生きているあいだ、続くのである。
幼児期に出尽くして、あとは、影響を与えないということはない。
ずっと、生きている限り、幼児的な万能感は続く。
けど、幼児ではなくなるので、「幼児的万能感」と呼べなくなる。ただたんに、呼べなくなっただけだ。
じつは、「神頼み」は幼児的万能感の一部だ。苦しいときの神頼みとはよく言ったもので、まさに、不安になったときは、神様にお祈りしたくなるのである。「助けてください」と言いたくなるのである。これは、意識があるのに、死ぬべき存在だからだ。
これは、頼まずにはおれないだろう。神が、そういうふうに人間を作ったのだとしたら、まさに、死ぬべき存在として人間を作った相手に「助けてください」と言っているのだから、しょーーもないことなのだけど……そうだ。神が死ぬように作ったのに、そのように作った相手に、殺さないでくれと言っているのだから、滑稽と言えば滑稽なのだけど、しかたがない。人間はそういう存在だ。
「思い通りになるはず」なのである。全部、思い通りになるはずなのである。こういう気持ちは、誰にでもある。幼児期に芽生えて、そのあと、人間が強く持っている感情のひとつだ。