おかしいのは「すべては、感じ方の問題だ」と考えているやつらのほうだった。
おかしいのは「つまらない現実はつまらないと感じる人が作り出している」と考えているやつらのほうだった。
「経験」という重要な問題をまるで考えてないでそういう発言をしている。これは、「生まれの格差」を隠す効果がある。 生まれの格差を隠す効果があるものに関しては、疑って考えたほうがいい。「なにかおかしいな」というような感じ方を大切にするべきだ。こいつらは、人をだましているつもりはないけど、だましている。
人生における「経験」の集積……これを、無視すると、現実にあわない結論にたどりついてしまうのである。 現実を語りえない理論は、理論のほうがまちがっていることが多い。「だまし」がある。
しかし、精神・カネモッチーと精神・フツーッチにとっては、まさしく、現実を説明できる理論なのである。ようするに、経験に合致しているのである。特殊な問題を抱える家族に、成人するまでにやられたことがでかすぎるのである。
特殊な問題を抱える家族に、成人するまでにやられたことは、堆積している。集積している。なので、それ自体が「障害」になる。
精神・カネモッチーと精神・フツーッチにはない障害を抱えてしまっているのである……精神・ビンボッチは。精神・カネモッチーと精神・フツーッチには、障害がないので、「感じ方の問題だ」「自分の意識的な意志で制御できる」「影響を受ける必要はない」というようなことを語りだす。
それは、障害がないから、可能なことだ。意識的な意志で「無視しようとすれば」無視できるという理論は、きちがい家族にたたられてない人にとっては、可能なことなのである。
どうしてかというと、実際にたたられたことがないので、他人事だからである。実際にたたられたことがないので、「想像」のなかで、たたられた人のことを考えて、「想像」のなかで「たたられないことも可能だ」と考えてしまうのである。
それは、成人したあと「知識として」たたられた人のことについて「知る」だけだから、可能なのだ。成人したあと「知識」としてきちがい毒親やきちがい家族のことについて「知る」のである。なので、「経験」がなく、「障害」もない人が、頭の中で作り上げたイメージをもとにして、「感じ方の問題だ」「自分の意識的な意志で制御できる」「影響を受ける必要はない」語っているということになる。
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