楽しくない生活をしているように見える人は「楽しむことができない性格」だから、楽しくない生活をしているのだろうか?
たとえば、セルフネグレクト状態におちいっている人は、楽しめない人だ。この人が最初から、楽しめない人だったかというとそうではないと思う。
たとえば、Aさんという人がいるとする。このAさんは、超がつくようなブラック企業で、どつかれながら、一日に一四時間労働をしてきたとする。通勤するのに片道一時間かかるので、一日に一六時間を労働のためにとられるとする。日曜祭日も、呼び出しを食らって、働いていたとする。
しかし、家族がいるので、つらい労働にたえて、一五年間、毎日、会社に通って暮らしてきたとする。Aさんはある日、起きられなくなって、仕事をやめたとする。そのあと、離婚したとする。いまや、Aさんは、セルフネグレクト状態におちいって、「汚部屋」のなかで、「ほとんど」動けない状態でくらしているとする。
そういう場合、Aさんは、もともと、「楽しむことができない」性格だったのかいうと、ちがうと思う。Aさんも、もともとは、人並みに楽しむことができた性格なのである。なので、この「楽しむことができない性格」というのは、後天的につくられたものだ。
Aさんの生活は楽しそうじゃない。
その場合、「そとから見ると」Aさんがもともと、楽しめない性格だから、楽しい生活をしてないように見えてしまう。また、固有の性格というものを考えた場合、Aさんが楽しむことができない性格だから、楽しくない生活をしているように見えてしまう。
かりにAさんが、寝床にいたまま「楽しい楽しい」と言えば、Aさんは「楽しくなる」だろうか? Aさんが、寝床にいたまま「元気だ元気だ」と言えば、Aさんは「元気になる」だろうか? 問題は、一五年間の労働スタイルにある。
Aさんが、セルフネグレクト状態におちいったあと「楽しい楽しい」と言わなかったから、「楽しくない」生活をしているわけではないのである。
実際に経験した一五年間が、Aさんの感じ方の根本を形成している。
元気がない状態になったのは、一五年間、がんばり続けたからだ。楽しいと感じる能力を失ったのも、一五年間、がんばり続けたからだ。「楽しくなろうとする努力」では、楽しくならない。休むことか必要だけど、セルフネグレクト状態におちいったあと、どれだけ長く休んでも、もとの状態には戻らない場合がある。
これは、ちょっと話がずれるけど、Aさんがその会社に勤めたまま「元気だ元気だ」と言っても、元気にならないと思う。Aさんがその会社に勤めたまま「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならないと思う。
しかし、言霊主義者がAさんに語りかける言葉は「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」「元気だ元気だと言えば元気になる」なのだ。ブラック企業の社長が、言霊主義者で、Aさんが「休ませてくれ」と言っているのにもかかわらず、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」「元気だ元気だと言えば元気になる」とこたえて、休ませてあげなかったという設定まで付け加えたくなってしまう。こういう言霊的なアドバイスは、ちゃんと「ほかに」理由があってこまっている人を、追いつめる効果がある。
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もう、読んでいるかどうかわからないけど
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