「人生を楽しむにはどうしたらよいか」「人生を楽しくするにはどうしたらいいか」そういう問題を意識をもって、Googleで検索してみろ。ほんとうにいためつけられている人は、失望する。
これ、ほんとうに、ほんとうにいためつけられている人を自殺に追い込むような文章が書いてある。
「無理解、無理解、無理解、無理解」。まさに、無理解。
けっきょく、ほんとうにくるしいことを経験してない人が、ちょっとだけ調べて書いたこと。ネガティブな人を、ディスっているにもかかわらず、そういうつもりがない人が書いたこと。
無理解さというのは、人を殺すだけの威力があるなとは思う。
あの無理解さは、アドラーに通じるものがあるなぁ。きっと、ちょっとはアドラーの影響を受けているのだろう。こいつらが、無理解で人を自殺に追い込むのだ。
こいつらは、精神・カネモッチーで、精神・ビンボッチが経験したことを一度も経験したことがないようなおぼっちゃんなのだ。おじょうちゃんである場合もあるけど。こういう人たちが「つらい経験」という場合の「つらい経験」と、ほんとうにいためつけられた人が言う「つらい経験」という場合の「つらい経験」はまったく異なったものだ。
同じ言葉を使って、それぞれちがったことについて語っているのだから、話があわなくて当然だ。そして、こういう、精神・カネモッチーのほうが、社会において、つねに優勢なのである。
精神・フツーッチは、 精神・カネモッチーのまねをする。ジャイアンにこびるスネ夫のように、ジャイアンが正しいと言う。精神・カネモッチーにこびる精神・フツーッチの数が多い。そうなると、やはり、精神・ビンボッチをディスりまくるということになる。
小ばかにした言葉を使って、まったく経験したことがないことについて、語りまくる。そういう場合、「きめつけ」があるのだ。そして、そういう「きめつけ」に、彼ら自身は無頓着なのだ。精神・カネモッチーと精神・フツーッチは、「きめつけ」に無頓着だ。
アドラーは、トラウマを否定しているけど、精神・フツーッチは、いろいろな人の本を表面的に読んだだけだから、いろいろな人の考え方がまじっている。すべてが、うわべだけの表面的な理解だ。
もう一度はっきり言ってしまうけど、「つらさ」の「つらさ」がちがう。「つらい」の「つらい」がちがう。ちがうことについて語っているんだよ。同じ言葉で!
「つらさ」が、フツーッチの考える「つらさ」でしかないのだから、アドバイスは、表面的なものになる。どんなばかでも、短時間で考えつくようなアドバイスがどれだけ人を傷つけるかわかっているのか?
こまった人を傷つけるかわかっているのか。たとえるなら、有機水銀を摂取してしまって、からだがうまく動かなくなった人に「動かないと思うから動かない」「動くと思えば動く」などと、説教しているようなものだ。
こういうことを言われたら、どれだけくるしか、わからないのだろう。どれだけ腹が立つかわからないのだろう。
こいつらだって、同じ量の有機水銀を摂取してしまったら、からだが思い通りに動かなくなる。それがまるでわかってない。こういうひどい発言を平気でする。
たとえば、水銀を摂取してしまったということが失敗だとしよう。
「一度の失敗がトラウマになって、体が動かないと思っているだけだ」というようなことを精神・カネモッチーが言った場合、水銀を摂取してしまって体が動かない状態になっている人が、どういうふうに感じるか、精神・カネモッチーには、まったく想像がつかないのだ。自分は、正しいことを言っていると思っているだろう。自分は、正しいことをおこなっていると思っているだろう。
「そんな、一回の失敗で、のびているやつが悪い」ということを言っても、まるで気にしない。簡単に「一回の失敗」と決めつける。あるいは、複数の失敗だとしても、複数の失敗にこだわる必要はないのである。けっきょく、「複数の失敗で、のびているやつが悪い」ということになる……彼らの頭のなかでは。
「できないと思っているからできない」「できると言えばできる」「一回の失敗にこだわる必要はない」「こだわっているからダメなんだ」……全部、不適切な発言。
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「人生 楽しむ方法」などの言葉で、ググるといいよ。
たとえば、きちがい家族がいる環境で育った人が、精神・ビンボッチで、きちがい家族がいない環境で育った人が、精神・フツーッチと精神・カネモッチーだ。さらに言ってしまえば、精神的に成熟した家族に囲まれて育った人が、精神・カネモッチーだ。
親の精神的な成熟と親の財産は、相関関係があると思う。もちろん、悪い意味で精神的に未成熟だけど、金を持っている人や、精神的に成熟しているにもかかわらず、金を持ってない人はいる。例外はかなり多いだろう。しかし、弱い相関関係はあると思う。普通の相関関係もあると思う。強い相関関係はあるかどうかわからないけど、あってもおかしくはない。
金持ちと言った場合、じつはフローとストックを両方とも考えなければならないのだけど、単に金持ちと言った場合は、そこらへんのことがあいまいだ。ここでは、ストックは個人資産が一〇億円以上。フローは、年収が二〇〇〇万円以上の人を、とりあえず、金持ちと呼ぶことにする。
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