ヘビメタでくるしい。だれも理解しないのか? ヘビメタでくるしいと言っているだろ。
「過去のことだから関係がない」「鳴り終わったなら関係がない」
「ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな」
けっきょく誰も、俺とおなじようにきちがい兄貴によるヘビメタ騒音を経験したわけじゃないから、わからない。きちがい兄貴は脳みその回路がなくて、わからないタイプだけど、そういうタイプの人間がやることが、普通の人間にはわからない。
どうしてかというと、そういうタイプの人間が、家族にいないので、家族として迷惑をかけられるということが、わからないのである。経験としてわからない。佐藤やユキオというまともな人間でも、ヘビメタ騒音に関しては考えちがいをする。
ヘビメタ騒音をいつもいつも、過小評価する。
俺が、勝手にヘビメタ騒音にこだわっているようにしか、やつらからは見えない。これは、そいつらの、欠陥なんだよ。
「必然性」が理解できないだけ。
やられればそうなるのに、そういう関係性がわかってないだけ。そりゃ、経験がないからわからない。きちがい兄貴による、きちがいヘビメタ騒音が一五年間も毎日続いたのは俺だけなのだから、俺にしかわからない。
きちがい兄貴は脳みその回路がなくて、わからないタイプだと言ったけど、これは、対応する脳みそがないということだ。自分と相手の立場を入れ替えて考えることが、できないのである。
これは、きちがい親父もそうだから、遺伝である可能性もあるけど、無意識がかかわっていることはあきらかなので、遺伝だけで発生する可能性と、無意識的な問題だけで発生する可能性と、遺伝と無意識の両方がそろって、はじめて発生する可能性のみっつの可能性が考えられる。
ともかく、ほんとうに、少ないタイプの障害なのである。
で、ほかの人には、わからない。
家族としてそういう人がいる人じゃないとわからない。
そして、そういう人が「音を出すことに」夢中になった場合を経験した人しかわからない。
きちがい親父は、音を出すことに夢中になったわけではない。きちがい兄貴は音を出すことに夢中になった。きちがい兄貴は、かならず、でかい音で鳴らすことにこだわり続けた。そして、鳴らすときは、つねにでかい音で鳴らした。自分が満足できるでかい音で鳴らした。
無意識的な問題なのか、脳みその問題なのかわからないけど、でかい音で鳴らしたい場合は、「これはでかい音じゃない」という認識が発生してしまうのである。感覚器は正常なのに、感覚器を否定するような態度が生まれる。
それから、手短に言って、ヘッドホンはつけてくれなかった。「頭が重たくなるのがいやだ」「感じが出ないからいやだ」と言って、俺が入学試験のときも、一秒もつけてくれなかった。前日、前々日、三日前、一週間前、二週間前、きちがいがきちがい的な理屈で、ヘッドホンをつけることをこばむ。
これは、きちがい兄貴の話だけど、おなじことを、きちがい親父がやっていた。だから、「うちではあたりまえ」だ。そういう感覚が、普通に成り立っている。そりゃ、きちがい兄貴がやっていることは、きちがい親父がやってきたことだ。きちがい兄貴が一六歳になるまで、きちがい親父が一六年間ずっと毎日やってきたことだ。
* * *
息子たちが幼児のときは、きちがい親父が好き勝手なことをやっていた。きちがい親父がきちがい的な理由で怒り狂っていた。きちがい親父が、きちがい的な意地で、きちがい的な行為をやり続けた。それとおなじで、「うちでは」きちがいが、好き勝手ことをしていいということになっているのである。これ、ルールなんてない。そういう世界だ。きちがいが、きちがい的な意地で荒れたら、そうさせておくしかないような世界だ。
そして、きちがいはきちがいだから、「まったくそんなことをしたつもりがない」のである。これ、どれだけおかしいことか。どれだけ無法地帯か。どれだけ、こだわってやっていることに、無頓着か。本人が好き勝手にできるなら、それは、「やってないのとおなじ」なのである。
普通ならやってしまってはいけないことでも、きちがい的な意地で、やり通す。これを止めるとなったら、殺さなければならない。常に、そういう状態を押しつけてくる。どれだけの意地がかかっているかわってない。ヨソの人はわかってない。
親父もおなじだけど、兄貴の場合の話をしよう。兄貴の場合は、自分が思ったとおりの音で、鳴らすということに、こだわりがある。きちがい的な意地があるのである。
だから、絶対にゆずらないのである。そこは絶対にゆずらない。ゆずらないならゆずらないで、「押し通してやった」という記憶があればよいのだけど、そういうのがないのだ。
ほかの人が「やめてくれ」と言ったという記憶がない。ぜんぜん、「邪魔されずに」やったということだ。ほんとうは、じゃまされそうになると、発狂して怒ってやった。もう、ほんとうに、発狂。発狂!発狂!発狂!発狂!発狂!発狂!発狂!なのである。そういう意地なのである。
けど、やってしまえば、「そんなの知らない」ということになってしまう。そういういじきたなさ。いじきたない。ずるい。そういうずるさ。父親が率先して、そういうことをやっているのだから、兄貴がやっても不思議じゃない。
親父は、むかし自分がそうしていたというのを知っているのか知らないのか、ともかく、兄貴の体がでかくなったら、一切合切文句を言わないのである。注意できなくなってしまった。これ、兄貴の体が小さいときは、文句を言うべきところではないところで、文句を言って、怒り狂っていた。きちがい親父がやったことってこういうことなのである。
これ、ほんとうに、小さな子供に対する手加減なんてないんだよ。相手が小さければ小さいほど、「思いっきり」ぶつかることができる。自分の好きにできる。「やめろ」と言われたら、発狂してはねのけることができる。発狂しているときに言うことが、現実の否定という要素を含んでいることなのである。
これ、ほんとうに腹が立つ。「やったってやってない」「におってたってにおってない」のである。これは、きちがい親父バージョンだけど、きちがい兄貴バージョンだと「(どれだけでかくたって)でかくない」ということが成り立つ。
これ、きちがいが、きちがい行為を押し通しているとき、悪いことをしているつもりがまったくないのである。やっていいことをやっている気分しかない。佐藤やユキオや認知療法家はこういうことがまったくわかってない。経験がないからわかってないだけだ。経験がないからわかってないということと、事実ではないということはちがうことなんだよ。
わからないやつは、とことん、無視する。ほんとうにそうだったということを、認めなかったりもする。たとえば、「お父さんはほんとうはそういう人ではなくて、俺が、そう言っているいるだけだ」というような理解をしたりする。俺の話を信じない。
「そんな人、いない」などと軽く言ったりする。
そいつのなかでは、俺の話は、真実ではないのだ。事実でもないのだ。俺がヘビメタ騒音について言っていることも、話半分で聞く。
ようするに、「ほんとうかどうかわからない」という態度だ。こういうやつらは、「ほんとうだとしても……」とヘビメタ騒音の影響を過小評価する。あるいは、完全に無視してしまう。無視したところで考えるなら、俺がただ単に嘘を言って、あまえているだけなんだということになってしまう。
きちがい兄貴が作り出した世界がこれだ。きちがい兄貴は夢中になってきちがいヘビメタを弾いて、聞いていただけなんだけど、そういう効果がある。
これ、きちがい兄貴は、親父にやられたことなんだよ。親父の話をそのまましても、ほかの人が信じなかったりする。「そんなことはないんじゃないの」「ちゃんと言えばわかってくれたんじゃないの」「説明の仕方が悪かったんじゃいの」と疑ってしまう。
どんだけ、くやしいか。兄貴の例で言ったけど、俺だって同じなんだよ。親父にかかわると、いっつもそうなるの。で、「いっつも」というのは、いきすぎた一般化じゃない。
これもわかってないんだよな。
親父の頭が親父の頭だから、外界の刺激にたいしていつも同じように反応するのぉ! きちがい親父が無意識的な怒りをため込んでいるので、きちがい的な理由で、怒り狂うんだよ。
きちがい親父のことは、勉強には関係がないから、我慢できるけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、勉強に関係があるので我慢できない。こういうふうに言うと勉強がメインであるような印象を与えてしまうけど、その勉強ができない時間というのは、体力を激しく奪う時間なのである。睡眠回路を破壊する時間なのである。佐藤やほかのやつらは、これまた、十数年にわたって毎日やられたことが、現在の状態に影響を与えるはずがないという、あほな考えにとらわれているのだ。
「鳴り終わったら関係がない」などと言ってしまう。
これも、無理解な発言なんだけど、本人たちは無理解な発言だと思ってないだろう。正しい発言だと思っているだろう。「朝、起きれないなんてあまえている」「みんなつらい思いをして起きている」などと言ってしまう。
けど、その「みんな」というのは、きちがい家族によるきちがいヘビメタを毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間もあびつづけた人間なのかというと、そうじゃないのである。ぜんぜんちがう。ぜんぜんちがうのに、いっしょにする。
みんなが、経験してないから、どれだけ、睡眠回路が破壊されるかわかってないだけでしょ。何千日も毎日、そんな状態が続いて、影響を受けないわけがないだろ。ほんとうに、想像力がないな。理解力がないな。
おまえらが、あまえている。ヘビメタ騒音なしでまったり暮らしてきたおまえらがあまえている。
そんなのは、障害がないからあたりまえなのに、自分のほうが俺より優れているから、毎日、通勤・通学ができると思っているんだからな。おまえらだって、おなじことが人生のなかで生じたら、通勤・通学できなくなる。それどころか、三年目ぐらいで死んでるんじゃないかな。
これ、ほんとうに、ただ単に、ヘビメタ騒音のすごさについて想像できないだけなのである。ヘビメタ騒音生活のつらさについて想像できないだけなのである。ヘビメタ騒音の影響の範囲について、想像できないだけなのである。
おまえ、あの態度で!ヘビメタを鳴らし続けれたら、どれだけこころをかきむしられるか、わかってないだろ。そこから生じたいろいろなことの意味がわかってないだろ。不可避的に、生じているんだよ。
これも、「俺(エイリ)がこだわっているから悪いんだ」と考えるやつがいるけど、そいつは、きちがい家族による、きちがいヘビメタ騒音を経験してないやつだ。 ぜーんぜん、ちがう。こだわるとか、こだわらないという問題じゃないんだよ。
こういう、ひっかけ。
精神世界の人のトリックについて、俺は説明しているけど、「こだわる」という言い方にも、同じレベルのトリックがある。(これはもう、以前説明したことがあるので、ここでは書かない)
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