本人の意識的な意志でどうにでもなることと、本人の意識的な意志では、どうにもならないことを、混在させることによって、あたかも、すべてのことが「意識的な意志でどうにでもなることだ」と錯覚させているのである。
たとえば、落ちた消しゴムをとろうとする「意志」があるとする。そして、落ちた消しゴムをとろうとして、とった。これは、意識的な意志でどうにでもなることだ。これは、比較的簡単なことで、自分の身体を動かせば、現実化できる。これを(1)自分の身体タイプとしておこう。
つぎに、たとえば、だれだれと恋愛するとか、どこどこの会社に入るとか、相手がある場合がある。この場合は、本人の選択にあわせて、相手が呼応してくれないと、現実化しない。これを(2)相手呼応タイプとしておこう。
つぎに、たとえば、Aさんに告白して、Aさんとつきあおうと思ったけど、告白せず、Aさんとつきあうということがなかったということがある。これは、選択しようとしたけど、選択するまえにあきらめたタイプだ。とりあえず、これを(3)あきらめタイプとしておこう。
セミナー会場で精神世界系の講師が言及するのは、(1)自分の身体タイプと(3)あきらめタイプだ。(1)自分の身体タイプの場合は、選択したのだから、現実化する。自分の身体が動く場合は、ほとんどすべて現実化する。なので、例として、こういうことがあるということを説明する。
そして、そのあとに、だから、選択すると現実化するということを言う。
(3)あきらめタイプは、選択するまえにあきらめてしまったのだから、現実化しないというとになる。あきらめずに、選択すれば現実化したはずなのである。なので、「これからは、あきらめないで、選択しましょう」「選択すれば、かならず現実化します」ということを話す。
(2)に関しては、語られない。じつは、セミナー講師のなかでも、(2)は無視されている。ときどき、意識にのぼるけど、すぐに、意識から消去される。
「強く思って選択しなかったから、そうなった」と考えるようにしているのである……彼らは。
けど、それなら、最初から「強く思って選択しないと、それは、現実化しない」ということを言うかというと、そんなことは、言わない……彼らは。
最初は、単に選択しただけで、現実化すると言っているのである。
最初から、「単に選択しただけだと現実化しないこともある」なんてことは、言わない……彼らは。
最初から「強く思って選択しないと、現実化しないこともある」なんてことは、言わない……彼らは。
「選択すれば現実化するのである」。どれだけ、弱い気持ちで選択しても、選択したなら、それは、かならず、現実化するのである……ほんとうは、こういうことを言っている。
最初はこういうことを言っている。
けど、現実化しなかったという報告を受けると、「強く思って選択しなかったから、ダメだったんだ」「強く思って選択しなかったから、現実化しなかったんだ」ということを言う。「選択しても、現実化する場合もあるし、選択しても現実化しない場合もある」ということは、「ダメだった」という報告を受けた直後だけ、考えとして浮かぶ……。セミナー講師の頭には……。
それは、ほんの一瞬だ。その話が済んだら、すぐに「選択すれば現実化する」ということになってしまう。この場合の「選択すれば現実化する」というのは、ただ単に、選択しただけで、現実化するということだ。強く思ったかどうかなんて関係がない。
こういうところに、からくりがある。トリックがある。
(注)
「意思」と「意志」はちがうのだけど、「意識的な意志」という言葉を使うことにしたので、「意識的な意志」で通すことにする。「意思」はそういう意図があること(頭のなかに思い浮かんでいること)だ。そして、「意志」は何事かのことをなそうとして志すことだ。