きちがい兄貴のきちがい感覚が、きちがい親父のきちがい感覚とおなじなんだよな。
ほんとうにこまる~~。ほんとうに、こまる。まるまるたい。まるまるたい。
こんなの、ほんとうにまるまるもの。みんな、きちがい兄貴の態度がわかってない。きちがい兄貴の認識がわかってない。「やめてくれ」と言われたときのきちがい兄貴の気持ちがわかってない。きちがいだからな。
ほかの人は、想像ができない。
だから、「お兄さんに言えばいい」「家族で話し合えばいい」など言う。
これ、が、また、くるしさを作り出す。
「そんなんじゃないんだ」「言っても聞かないんだ」と言っても、相手は「聞かない」。
「言えばわかってくれるじゃないの」というような感覚が成り立っている。それに、きちがい兄貴のヘビメタ騒音問題は、その人の問題じゃない。俺から話を聞いて、「そういうことがあったんだ」と思うようなレベルのことでしかない。
俺は、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で死にそうだった。毎日、まるまるまだった。こんなのは、ない。どれだけ、切羽詰まった生活になるか。どれだけ、将来の希望が、ズタボロ生活のなかで消えていくか?
生活の希望というのは、きちがいヘビメタ騒音なしで、普通に生活できる状態でなければ、成り立たない。
「そんなことはない」と言う人は、実際に、ヘビメタ騒音生活をしてないから……きちがい家族によるしつこくて、ものすごくでかい騒音を経験してないから……そういうふうに言えるだけだ。
もう、とっくに赤字なんだよ。生活が全部赤字になってしまうの! 体力が赤字になってしまうの! やれることがなくなってしまうの! できていたことが、できなくなってしまうの! どれだけどれだけ、がんばっても、できなくなってしまうの!!
そういう深刻さや、影響力のレベルが……まるでわかってないんだよな。
そりゃ、他人は他人だからわからないのも当然だけど、それを抜いても、きちがい兄貴のやり方が、あまりにも特殊だから、その人たちの経験の範囲に入ってないんだよ。
きちがい兄貴そのものや、きちがい兄貴の騒音そのものが、そういう人たちの、認識の範囲に入ってない。
どうしたって、きちがいではない普通の兄貴を想像してしまう。
どうしたって、きちがい兄貴が鳴らすような騒音ではない騒音を想像してしまう。
どうしたって、ほんとうに、きちがい家族が、この世で自分がきらいな音を、ものすごくでかい音で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らし続ける一日というのが、想像できない。
影響力を過小評価してしまう。
その人たちが、日常的に経験している騒音でものを考えてしまう。
きちがい兄貴なんて「非・日常的な騒音」を毎日、日常的に鳴らしている状態だ。
きちがい兄貴の騒音は、非、日常的な騒音なんだよ。
うちでなければ、絶対にゆるされない騒音なんだよ。
きちがいおやじがつくったうちだから、ゆるされた。あたりまえになってしまった。きちがい兄貴が、きちがい親父の脳みそを受け継いでいるから、ほんとうは非・日常的な「ありえない騒音」を、「ありえない意地」で鳴らし続けた。普通なら、一日だって続かないんだよ。
お母さんも、親父とはまったく別方向に、普通の人ではないんだよ。ともかく、きちがいおやじとおなじ頭の構造を持っている人が、四人家族のうち、ふたりいるというのがめちゃくちゃに問題なんだよ。
で、そういうことは、異常な家族がひとりもいない人にはまったく想像ができない。だから、異常な家族がひとりもいない家の常識で、ものを言う。そして、実際にいないのだから、きちがい兄貴が鳴らしたような騒音が続くこともない。
続くことがなければ、わからない。
どういう影響が、あるか、わからない。
死にものぐるいの努力をしても、できない状態になる。死にものぐるいの努力をしても、失敗してしまう。ヘビメタ騒音が鳴るまえは、普通にできていたことが、どれだけ努力してもできなくなる。これがどういうことなのかわかるか?
わからないだろ。
そうすると、「過去のことは関係がない」「鳴り終わったなら関係がない」というようなことを言い出すことになる。
あるよ。
過去のことでも影響があるんだよ!!
過去のことだから!!!影響があるんだよ!!!
実際に発生した!!!過去の出来事だから!!!影響がある!!!
何千日も毎日、何時間も何時間も何時間も、何時間も何時間も何時間も、何時間も何時間も何時間も、続いたことだから、影響がある。
何千日も毎日続いたことが、影響を与えないわけがないだろ!!
こいつらも、ほんとうに、なにも考えてないな。