きちがいの親にたたられる生活というのは、アドラーや認知療法家にはまったく想像できないと思う。ほんとうに、つねに、頭がおかしい理由で怒り狂われていると、強迫神経症になる。そういう部分が「補償」としてでてきてしまう。その場合、じつは、人間として正常な反応をしているということになる。「人間」の場合、そうならざるを得ないところがある。アドラーや認知療法家が「合理的なこと」として理解できないからと言って、「合理的な部分」というのが、ないわけではない。強迫神経症に関しては、岸田秀やカレン・ホーナイが言っていることが正しい。ジークムント・フロイトから性欲論的な部分を洗い流した?精神分析理論が正しい。ともかく、きちがい的な親に常に怒りくるわれて、強迫神経症になった人が、認知療法家が言うことを理解しても強迫神経症は治らない。だいたい、認知療法家は「現象」を説明することができない。アドラーもおなじだ。彼らは強迫神経症を説明する言語を持ってない。
それから、白玉・黒玉ということに関して言うと、きちがい的な親にきちがい的な理由でいちゃもんをつけられ怒り狂われている子供は、黒玉をひき続ける。そりゃ、きちがいの親が「かかってくる」ときは、黒玉が出ているときだ。きちがいの親が、きちがい的な理由で、何回も何回も怒り狂ったということは、何回も何回も黒玉が出たということだ。さらに、強迫神経症になって、ほかの人との間にも問題がしょうじる。問題がしょうじるというのは、黒玉が出たということだ。ともかく、この世は不公平。不公平。