「コロナウィルスに関心があるとコロナウィルスにやられて、コロナウィルスに関心がないとコロナウィルスにやられない」と考える人たちがいるみたいだ。はっきりと言ってしまうけど、「関心」は関係がない。
どうしてそう言い切れるかというと、コロナウィルス(COVID-19)の存在を知らない人が、コロナウィルス(COVID-19)による新型肺炎にかかったからだ。
思い出してもごらん。
豪華客船に乗った人は、コロナウィルス(COVID-19)のことなんてまったく知らなかった。コロナウィルス(COVID-19)が、この世に存在するということを知らなかったのだから、当然、コロナウィルス(COVID-19)に関心なんてない。みじんもない。
どうやって、存在すら知らないことに「関心」をもつのだ。まあ、用語が「関心」なので、「関心」をもつという言葉を使うけど、本来なら、「存在すら知らないことに注意をむけるのだ?」ということになる。「関心」と言ってしまっているけど、ほんとうは「注意」を含んでいる。フォーカスの問題だから……。この場合の「関心」には、静的な「関心」ではなくて、注意を向けるという動的な意味が含まれている。対象に注意を向けた結果、対象に関心をもつことになる。
ともかく、コロナウィルス(COVID-19)の存在を知らず、コロナウィルス(COVID-19)に関心がない人が、新型肺炎にかかった。この事実は、「コロナウィルスに関心があるとコロナウィルスにやられて、コロナウィルスに関心がないとコロナウィルスにやられない」という考え方を完全に否定している。なので、関心があるとか関心がないということは関係がない。
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豪華客船に乗った人たちは、「よーし、この豪華客船に乗って、未知の病気にかかるぞ!」と思って豪華客船に乗ったわけじゃない。最初から、未知の病気について「関心」があったわけじゃない。
本人は、豪華客船の旅を楽しむつもりで豪華客船に乗ったのである。
もし、その豪華客船に乗ると、得体の知れない病気にかかるということを知っていたら、豪華客船に乗ってないと思う。「得体の知れない病気にかかる可能性がある」ということを情報として知っているということが、得体の知れない病気に「関心がある」ということなのである。
なので、得体の知れない病気に「関心」があれば、豪華客船に乗らなかった。「関心」を向けたから新型肺炎にかかったのではなくて、「関心」を向けなかったから、新型肺炎にかかった。
これが、すべてだ。
自分のなかから、そのことに関する「関心」を追い出せば、「そのこと」が、自分の未来に「到来」しないということはない。
もちろん、「関心」があることが、現実化することもある。「関心を持っていても、それが到来する場合もあるし、関心を持っていても、それが到来しない場合もある」と言うのであれば、「関心があるから到来した」とは言えないだろう。
さらに、「関心がまったくない状態になれば、到来しない」ということも言えない。新型肺炎にまったく関心がない人が、新型肺炎にかかった。なので、関心がないことは、絶対に発生しないとは言えない。
過去のある時点で、「関心」があったから、今現在「そういうことになっている」ということは、成り立つ場合と成り立たない場合がある。常に成り立つことではない。現在の時点で関心を持たなければ、未来のある時点で「そうなることはない」とは言えない。
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