搾取に関しては、資本主義の構造的な問題として指摘されるけど、ようは、バランスの問題だから、搾取しすぎなければ、問題はない……ということにしておかなければならない。いわゆる「なかぬき」の問題は本来的な意味で搾取とは、区別して語られなければならない。「なかぬき」の問題と搾取を同一視することはできない。議論を混乱させるだけだ。「なかぬき」は搾取の部分集合だから、イコールじゃない。イコールだと思ってその言葉を使うべきではない。
なかぬきは、一段階のなかぬきと、n段階のなかぬきがある。このふたつは、わけて考えるべきだ。n段階のなかぬきは、情報がいきわたって、制度が改革されれば、一段階のなかぬきにすることができる。一段階のなかぬきはなくすことができないけど、割合をかえることはできる。一段階のなかぬきは、真の意味での搾取なので、なくならない。資本主義を維持する以上、一段階のなかぬきはなくならない。しかし、割合をかえることはできる。適切な割合の資本主義(なかぬき主義)であれば、問題はない。搾取は存在の問題ではなくて、割合の問題なのだ。もちろん、実際に働く人が、たくさんもらったほうがいいわけ。