蚊が出た。このだるいのに、蚊!!!
めんどくさぁーー。
++++++++これ以降、言っていることがわからないかと思うけど、気にしないで+++
ときどき、このあいだ書いた「FAにはカセットインターフェイスがついてないんだよ」ってことを言いたくなる。あれ、頭にくる。ほんとう、言ってやればよかった。「なら、かっせとインターフェイスを買えばいいじゃない」と言われるのが、ほんとうに、いやだった。ぶんなぐりたくなる。「ほとんどのことができる。なにができないんだ? 言ってみろ」と、年上の俺に言いやがったな。ふざけるな。
+++++ここまで気にしないで(むかしい、こっちにもこのエピソードは書いた。けど、もう、公開してない+++++++++++
長期騒音がなければ、こんなことがなかったのに……。長期騒音がなければ、俺は一〇年ぐらい早くパソコンを買えたので、こういうことを言われなくてすんだ。長期騒音を打ち消すためにステレオセットを買ってまったんだよな。ともかく、すべてが、ゆるしがたい。俺の立場がないんだよ。長期騒音で俺の立場がない。年上後輩なんて、みっともない。そういうことになってしまうだろ。なっとく、いかない。いかないなぁ。きちがい兄貴がたたらなければ、ほんとうに、そういう細かいいやなことを経験しなくてすんだ。きちがい兄貴がかかわってないようなことなんだけど、きちがい兄貴がかかわっている。
それにしても、ほんとうに、きちがい兄貴がその場にいないし、きちがい兄貴はきちがい兄貴が、かかわっていることだと思ってないわけだけど、きちがい兄貴がかかわっている。鳴らされているときの猛烈な怒りといったら、ない。ヘビメタ騒音というのは、きちがい親父とかかわっている時とおなじなんだよ。きちがい親父に、しつこくやってやるやってやると言われている時とおなじなんだよ。きちがい兄貴にわかるように言ってやると、きちがい兄貴が「このハンダゴテは使えない」と親父に言っているのに、親父が絶対の意地で認めないときとおなじだ。腹がたつだろ。実際、きちがい兄貴は、親父にそういうことをやられて、腹をたてていた。そりゃ、「さいちゅう」だからね。親父が、使えないハンダゴテを、押しつけたわけだから、親父は、「かかわっている」。けど、きちがい兄貴が、技術科の教室で「おまえ、こんなの使えると思っているのか」と教師に言われたとき、きちがい親父は、当然、その場にいない。自分が押しつけたと教師に言ってくれるわけではない。だから、親父は、知らない。けど、うちの人間の問題はそういうところだけではない。言語で説明されてもわからないのだ。「おまえ、こんなの使えると思っているのかと教師に言われた」ということを、どれだけ親父に説明しても、親父はきちがいだから、それがなにを意味しているかわからない。意識的にはわからない。無意識的には理解して反対語を言ってはねのける。きちがい親父にできることは、真っ向から否定することだ。「つかえる!!つかえる!!」「なんだそんなの!!」と発狂して、絶叫する。きちがい親父の頭のなかでは、自分が出してやったハンダゴテは、兄貴からそういう説明を受けたあとも「使えるハンダゴテ」なのである。教師が使えないと言ったということを説明しても、そんな説明は絶対に認めない。認めないし、認めないということも認めない。
きちがい兄貴の場合も、きちがい親父の場合とおなじだ。きちがい兄貴のヘビメタのことで……俺がほかの人から悪く言われているとき、きちがい兄貴はその場にいない。けど、きちがい兄貴がかかわっている。きちがい兄貴が、めちゃくちゃな意地で、ヘビメタを鳴らしてなかったら、そんなことにはなっていない。
きちがい兄貴は、認めてしまったら、自分がしずかにしてやらなければならないことはどんなにあきらかなことでも認めない。きちがい親父は、自分が認めてしまったら、金を出さなければならないことは、どんなにあきらかなことでも認めない。兄貴は無意識的にしずかにしずかにしたくないわけで、自分が「本当にしずかにしてやるのは」絶対にいやなんだよ。しずかにしてやるとしたら、自分がやりたいやり方でしずかにしてやるということにこだわる。けど、きちがい兄貴のやり方でしずかにするというのは、実際にはまったくしずかにしないということなんだよ。だから、相手にとってはまったく意味がない譲歩なんだよ。きちがい親父のハンダゴテというのは、相手にとってまったく意味がない譲歩……が具現化したものなのだよ。これも、使えないハンダゴテなのだから、意味がなぃ。けど、「ハンダゴテは出してやった」という名目上の理由がつく。きちがい兄貴の「しずかにしてやった」というのも、ただ単にきちがい兄貴がそう思っているだけで、ほんとうは、まったくしずかにしてない。親父の場合兄貴が「ハンダゴテをもっていかなければならない」と言ったからハンダゴテを出してやったわけで、ハンダゴテを出してやったのだから、それでいいのだということになってしまっている。きちがい兄貴の場合は、自分のやり方でしずかにしてやったにしろ、しずかにしてやったのだからいいのだということになってしまっている。けど、相手にとってはまったく意味がない譲歩なのである。譲歩になってない譲歩なのである。きちがい兄貴が静かにしてやったつもりで、きちがい的にでかい音でヘビメタを鳴らすから、こっちはこまった。こまっていたんだよ。何時間も何時間も、中間試験だろうが、期末試験だろうが入学試験だろうが、鳴らしやがって。その日、休みで一三時間鳴らせるなら、絶対の意地で一三時間鳴らしやがって。それで、「ゆずってやった」だからな。きちがい親父とやっていることが、おなじなんだよな。兄貴はきちがい親父とおなじ。その日が、早帰りで、九時間鳴らせるなら、九時間絶対の意地で鳴らして譲ってくれなかった。俺がどれだけ「明日も試験だから、やめてくれ」と言っても、一分もやめてくれなかった。それなのに、譲ってやったと思っている。試験勉強の邪魔をしてないと思っている。「試験の邪魔だ」「これから、試験勉強をするから静かにしてくれ」と言われても、親父のような気持ちになって、親父のような態度で鳴らし続けた。親父のように、相手が言っていることが「まったくわからない」のである。何万回言われても、まったくわからない。きちがい兄貴の態度と、親父の態度がおなじなんだよ。きちがい兄貴の感覚ときちがい親父の感覚がおなじなんだよ。ほんとうに、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、きちがい親父のハンダゴテとおなじだ。こっちが、どれだけ兄貴のヘビメタ騒音でこまっているということを言っても、こまっているということを認めない。きちがい親父のように反対語を繰り返すということはなかったけど、おなじなんだよ。親父にも無言バージョンがあるからね。はねのけておこったとたんに「言われてないことになっている」。「言われなかったからぜんぜん知らない」という態度になっている。ほんとうに、そういう認知が成り立っているのである。だから、何万回言われても、一回も言われてないことになってしまう。きちがい兄貴ときちがい親父は、そういうところで、まったく同じなんだよ。兄貴の態度は親父の態度のコピー。瓜二つ。おなじ!!
*きちがい兄貴の場合、反対語バージョンが出てくるのは一六年目以降。
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(これにはちょっといきさつがあるんだけど、説明する気になれない。簡単に説明すると、28歳の女性アルバイター(パート)が、もってくるコーヒーカップが、性格をあらわしているというようなことを言い出して、ぼくのは、ぼくの性格をあらわしてないと思ってのだけど、28歳の女性アルバイター(パート)に言わせると、ぼくがのコーヒーカップはぼくの性格をよく表しているものらしいのだ。28歳の女性アルバイター(パート)は、持ってきているコーヒーカップや湯飲みが、その人の性格をあらわしていると言っていて、その流れで……)
あとは、俺が所長の湯飲みを「えらそうな湯飲み」と言ってしまったのには理由がある。所長の湯飲みが、きちがい親父の湯飲みとおなじなのである。そっくりなのである。俺が幼児のとき、きちがい親父が怒り狂って、俺を虐待していたわけだけど、そのときに使っていた湯飲みと、おなじなのである。だから、「えらそうな湯飲み」と言ってしまった。所長が「えらそうななのかな?」と気にしてしまったのだ。俺は、「えらいんだからいいじゃないですか」と言っておいたけど、「親父に虐待されていたころに見た!親父の湯飲みとおなじような湯飲みだから、ついそう言ってしまった」とは、言えないんだよね。全体が深い緑色で、薄い黄色の文字で寿司のネタが書いてある湯飲みなんだよね。緑色は、かなり、黒に近い緑色だ。
「ぼくがおさなかったころ、親父がぼくのことを虐待ていたのだけど、そのころに親父が使っていた湯飲みにそっくりなんですよ」って、言えないよ。ここでは、虐待系のことについていろいろと説明しているけど、普段の生活のなかでは、なかなか言えない。特に、アルバイトとはいえ、職場では言えない。