ほんとうに、こころを破壊された。きちがい兄貴が、こだわってこだわってこだわって、きちがいヘビメタをスピーカーから鳴らし続けて、ぼくのこころを破壊した。ゆるせない。で、この世というのは……とくに、日本の社会というのは……ヘビメタ騒音にやられた人にとって住みにくい社会なのだ。それは、「できなくなる」からだ。
ほんとうに、普通の人たちは、わからない。どういうことなのか、わからない。わかってないんだよな。「ヘビメタ騒音にやられた」とか「ヘビメタ騒音が鳴っていると宿題ができない」とか「ヘビメタ騒音が鳴っていた次の日は、遅刻する可能性が非常に高い」とかとぼくが言っても、その人たちは、わからない。やられてない人たち……その人たちにしてみれば、「騒音」というのはそういうものではないのである。
何度も言うけど、家の前がでかい幼稚園で、いろいろな騒音経験してきたのである。けど、たとえば、幼稚園の園舎をたてなおしたとき、ぼくが、「騒音」で、勉強が出なくなるということはなかったのである。園舎といっても、小学校の校舎のようにでかいのである。そして、たとえば、幼稚園が、私立の剣道クラブに場所を貸していたときも、掛け声や竹刀がぶつかりあうおとや、踏み込みの足音でうるさかったけど、それで、勉強ができなくなるということがなかった。普通の人たちが経験している「騒音」はぼくだって経験している。そのとき、ぼくがヘビメタ騒音にさらされたような状態になったかというとちがう。ちがうんだよ。それが、他者にはわからない。きちがいヘビメタ騒音にさらされたことがない他者にはわからない。他者にわからないということは、他者は、俺がどれだけなにを言っても、「そんなのは、努力不足だ」「そんなのはあまえだ」と解釈するということだ。ヘビメタ騒音「で」できなくなったということを、認めないのである。俺だって「騒音」にさらされたことがあるけど、そんなことにはなってない。だから、エイリさんが、騒音に敏感なだけだとか解釈してしまうのである。けど、普通の「騒音」とヘビメタ騒音はちがう。至近距離の、きちがい家族による、ヘビメタ騒音は、質も量も違う。だから、ちがった効果をあらわす。やられた人間に、ちがった効果が出てきてしまうのである。けど、やられてない人間は、それを認めない。認めないということは、何度も言うけど、自動的に、「エイリさんがあまえているからダメなのだ」ということになってしまう。「できる」のに「できない」と言っていると思ってしまう。そう思ったら、マウントしてくる。説教をしてくる。これが、この世の普通の人間だ。だから、きちがい兄貴という、普通の人にはわからない、人間が、普通の人にわからない意地で、きちがいヘビメタを鳴らし続けると、こういうことになってしまう。こういうことというのは、普通の人がごく自然に、俺のことをばかにする状態になってしまうのである。こんな世界で生きていけるわけがない。実際、きちがいヘビメタがなければ一〇〇点をとれるテストで六〇点ぐらいしかとれなくなる。どれだけがんばってもがんばっても、遅刻するようになる。どれだけ、遅刻しないように気を張っても、きちがいヘビメタに、「その一日だけで」六時間以上さらされると、どうしても、次の日遅刻してしまう日が一〇日に一日ぐらいは出てくる。そうなると、三〇日で三回。ぐらい遅刻することになる。200日だと20回だ。どれだけ、気を張ってがんばっても、ゼロにはできない。けど、遅刻をすれば、ゼロにしろと、教師やほかの人間が言ってくる。その教師やほかの人間は、きちがい兄貴……きちがい的な家族による騒音にさらされていない普通の人たちだ。俺と、この人たちとでは、条件がちがう。条件がちがうのに俺が悪く言われる。俺が劣っているように言われる。俺がダメ人間であるかのように言われる。このとき、どれだけ、「ヘビメタ騒音が鳴っているから、どうしても、遅刻してしまう」ということを言ってもむだだ。「それは、家族で相談してください」といわれておしまいだ。家に帰って、「これこれこうで困った」ということきちがい的な音で鳴らしている、きちがい兄貴に、何十回も怒鳴っても、きちがいがきちがい的な反応をして、きちがい的な意地でずっと鳴らし続けてしまう。ゆずらない。こういうときの、きちがい兄貴の態度がほかの人にはわからない。そして、これが感じなことなのだけど、きちがい兄貴にもわかってない。きちがい兄貴は、きちがい的な意地でやったということがわかってない。本人は、そういうふうに認識していないのである。そういう認識のずれがある。これは、おやじと兄貴で共通だ。ともかく、ちがうんだよ。普通の人じゃない。ほんとうに、脳みそが、特殊な構造を持っているとしか言いようがない。絶対に、自分が、きちがい的な意地でやっているということを認識でないのである。きちがい的な意地で、それを無視する。無視したら、実際にやってないのとおなじなんだよ。主観的には「つもりがないまま」やり続けることができる。こんなのは、ない。ほんとうに、きちがいの世界だ。ふつうなら、きちがいの世界だ。けど、これがまた、ほかの人には、わからないのである。実際的な問題として、まったく理解できない。そういう困った他者が家族として存在していない他者は……「そんなのはない」「そんな人はいない」「ちゃんと説明すればわかってくれる」と普通に「思い続けて」しまう。だから、俺が説明したあとも、「ちゃんと説明すればわかってくれるはずなのに、ちゃんと説明しないからダメなんだ」と思ってしまうのである。いちおう、日本人なら理解できると思うけど、「ちゃんと説明すればわかってくれるはず」の人間は、きちがい兄貴で、エイリさん「が」ちゃんと説明しないからダメなんだと、その他者「が」思ってしまうということだ。日本人なら、わかるはずだと思うけど、「主語はなんだ」とか訊いてくるやつがいる。
ともかく、そういうことの積み重ねで、こころが破壊された。ほんとうに、つまらないのである。けど、これが、「つまらないつまらない」と言えば、「ネガティブなことを言うな」ということを言ってくるやつが出てくる。「つまらないつまらない」と言って「から」つまらなくなるということを言ってくるやつが出てくる。そいつらは、きちがい家族による、きちがいヘビメタ騒音を経験してない。 そりゃ、数千日にわたって、家族にやられた人間ではないのだから、そういうことが言えるのだろう。こいつらも、経験してないから言えるだけなのに……。まるで自分が「つまらないという人よりも」すぐれているから、人生を楽しめている(楽しむことができる)と思い込んでいる……ふしがあるとぼくには思える。原因がちがう。こういう人たちは、ただ単に、きちがい的な家族にやられなかっただけだ。その点で俺よりも幸運だけど、それは、すぐれているということではないんだよ。