トレッキングシューズを買った。
今年は、いろいろと持ち物を改善していきたい。それにしても、長期騒音で人生がない。これは、ほかの人には絶対にわからないことだ。ほかの人にとってみれば「そんなのは……」ということになるのだろう。けど、そういうことを言うほかの人たちには、長期騒音がない。俺と同等の長期騒音がない。きちがい家族がいない。もう、比較の対象にならない。
けど、人間は人間だからどうしても比較してしまう。そりゃ、みんな、自分の感覚でものを言っているからな。自分の感覚で、「善悪」を決めている。自分の感覚で「よしあし」を決めている。「できる」と「できない」では、「できる」ほうがいいに決まっているという価値観がある。「単にできる」よりも「もっとできる」のほうがいいに決まっているという価値観がある。「より優れているほうがいい」という価値観がある。「無職はだめだ」という価値観がある。「ひきこもりはださい」という価値観がある。「人の価値観なんて気にしないほうがいい」という価値観がある。「人とくらべる必要はない」という価値観がある。
けど、価値観は価値観だ。で、自分がよく意識している価値観と、無意識的な価値観がある。無意識的な価値観のほうが重要だ。無意識的な価値観は、「みただけで」いろいろなことを判断するのにつかわれる。もう、考えるまでもなく、本能に近い形で、反応が現れる。こういう即物的な反応に影響を与えるような価値観のほうが重要だ。本能じゃないけど、相当に「考えない」「考える時間を必要としない」という意味で、本能に近い形で」と書いた。けど、これは、もちろん、本能ではないし、本能に類似したものでもない。あくまでも比ゆ的な意味で、そのように書いた。ものすごく、深いところで行われた学習なのである。