こんな人生ない。つまんない。眠るまえも眠ったあとも、おなじだなぁ。横になっているときも、立っているときも、歩いているときも、座っているときもおなじだな。「どれだけ言っても、しずかにしてくれなかった」。あの時間の持続。あの時間が終わったあとの破滅時間の持続。あんなのない。「だから、やめてくれと言っただろ」。
「俺は、俺のことをいいと言ってくれた女の子と結婚しちゃったもんね」「(俺はかっこうが悪いと思うけど)いいと言う女がいるんだよな」みたいなことを言ったやつがいるんだけど、こいつ、あほ。ヘビメタ騒音のことを話して、どうしてそういう反応が出てくるか?
まあ、そいつの容姿コンプレックスと「(結婚したということで)おまえよりもまさっている。おまえよりももてる」という自慢がまざったようなへんな反応なんだよな。そして、「その年で働いてない」ということにこだわって、俺を気持ち悪く思う……。こういう組み合わせ。こういう、コモノ。そういう反応をするコモノのほうがよっぽど気持ち悪い。きちがい兄貴がヘビメタを鳴らし続けなかったら、こういう人とも、こういう交流がしょうじることがなかったんだよ。
こいつ(コモノさん)も、俺がヘビメタ騒音にやられず、学問的な世界で成功していたら、絶対こういう態度じゃないんだよ。こいつらは、ヘビメタ騒音がどういう騒音かわかってない。それは、ヘビメタという音楽を知らないということではなくて、きちがい家族が、こだわってこだわって、いつもいつも鳴らしているヘビメタ騒音が、人体にどういう影響を与えるかわかってないということだ。
こいつらにとってみれば、「そんなのは、鳴り終わったら関係がない」と言えるものなのだ。「そんなんじゃないのに」。「そんなんじゃない」と言ってもむだだ。こいつらは、心底、わからない。経験がないからわからない。人生という時間の長さではなくて、一日という時間の長さのなかで考えても、ヘビメタ騒音ががんがん真横の部屋で何時間も何時間も鳴っていたら、どれだけ、次の日つらいかわからない。どれだけ、その日から次の日にかけて眠れなくなるかわからない。
そして、眠れない時間、非常につかれているなかで「眠らなければ」とあせるわけだけど、そういうあせった気持ちがわからない。破滅的な気持ちで、ボロボロにつかれた体で、なおかつ、まったく眠れないという地獄の時間がわからない。
何時間もがんがん鳴らされているということは、気持ちの問題ではなくて、ほんとうに、脳みそが刺激を受けているのである。そりゃ、午後一一時一一分までガンガンやられたら、眠れなくなるだろ。
けど、こいつらは、「鳴り終わったら眠れるはずだ」と考えるんだよ。それから、こういう眠れない状態ですごしたにもかかわらず、学校に通っていたということがどれだけ、すごいことかわかってない。どれだけ、精神力がいることかわかってない。
小学生のときからやられているというのが重要なんだよ。はっきり言えば、毎日毎日、鳴らされていたのに、学校に通っていたから、俺の今の状態がある。通勤できなくなってしまった状態がある。どれだけがんばっても、通勤ができない。どれだけがんばっても、約束の時間に行けない。そりゃ、二〇時間起きている状態で、行くこともあるけど、何回も同じようできるかというと、できない。だから、毎週、一日だけ、どこかで、決まった時間にアルバイトをするということもできない。どれだけがんばってもできない体になった。.
それは、小学六年生、中学三年間、高校三年間の通学の結果だ。もう、ぼくは、ここで「きれて」しまったのである。ヘビメタ騒音に毎日やられていたのに、通った。日曜日も、祝日も祭日も、夏休みも、冬休みも、春休みもずっと毎日やられていたのに、平日、学校に通った。
それは、ヘビメタ騒音がなければ、普通のことだけど、ヘビメタ騒音が鳴っている状態で通ったということが、ぼくの体を破壊した。
睡眠回路を破壊した。
かりに、薬で時間を調節して、うまくいったとしよう。けど、それでも、過去において、きちがいヘビメタを鳴らされた次の日、時間通りに学校に行ったということが、問題になる。通っている期間中に、「もう死ぬしかない」という感覚が、悪い意味で育ってしまうのである。感覚と言っても、これはもう、自我と不可分な感覚だ。なにを言っているのかわからないかもしれないけど、繰り返しにより、「死にたい時間」になったということだ。
そして、死にたい時間に用意をして、がんばっていったとしても、まったくよくならないのである。それは、死にたくなることの積み重ねなのである。これ、わかってないんだよな。みんなわかってない。「そんな、鳴りやめば人体に影響を与えないような騒音じゃないんだ」と言っているのに、みんなわかってない。繰り返されて、人体に影響が出た。これがまったくわかってない。
薬を飲んでも調節できずに、眠れないまま、時間がきたので、出かけたとする。どういう気分か? きちがいヘビメタにやられて死にそうな気分なんだよ。
ダイヤにも言っておきたいけど、俺がまるまる荘に出ていたときも、おなじ状態だった。通うなら死んだほうがましなんだよ。「アパートを借りているのだから、鳴りやんでいるのとおなじだ」とダイヤは思っていたみたいだけど、アパートを借りていた期間、ずっと、きちがいヘビメタが鳴っていた。節約の都合で、夜、風呂に入ったけど、風呂に入っている時間ずっと、「あの!!!ヘビメタ騒音が」鳴っていた。俺の人生を破壊したヘビメタ騒音が鳴っているのだ。俺の勉強を邪魔した「あの!!!ヘビメタ騒音」が鳴っているのだ。めしを食っている時間と風呂に入っている時間、(ずっと)鳴っているだけでも、くるしいよ。それは、同じ音だから、おなじ状態になってしまうのだ。「あの騒音」なかで飯を食うということが、どういうことだかわかるか?
ヘビメタ騒音のことがわかってないやつとのあいだに「きれつ」が入るんだよな。きちがい兄貴は、特殊な兄貴だ。あんなに特殊な兄貴がいる人がいない。俺のほかにいない。きわめて特殊な脳みそを持っている。きわめて特殊な脳みそを持っている人にやられたことがない人はわからない。家族として!!!きわめて特殊な脳みそを持っている人と、一緒に住んだことがない人は、ぼくが言っていることが、心底、わからない。
だから、コモノのように、誤解をする。コモノだって、そういう家族にたたられて、毎日勉強ができないなら、教師になれなかった。コモノだって、そういう家族にたたられて、毎日、ものすごい騒音鳴らされていたら、通勤するということができなくなる。もう、これは決まっている。たまたま、運がよかったから、きちがい兄貴のような家族にたたられないで、普通に過ごすことができた!!!だけだ。それなのに、「そんな歳で働いてないなんておかしい」と驚いしてしまう。驚いた後は、偏見が総動員されて、俺の人格についてまちがった思い込みをするようになる。まちがった判断をするようになる。この判断は、底のほうにある判断で、その上の判断群(といえるものに)」影響を与える。一度、そういう判断ができあがると、俺の行為にたいして、次々に誤解をするようになる。
ヘビメタ騒音鳴らした兄貴は、その場にいない。俺とその人の交流だ。けど、きちがい兄貴が与えた影響はでかすぎる。きちがい兄貴よ。きちがい兄貴が、使えないハンダゴテを持って行ったとき、いろいろな人が、兄貴のことを誤解したよな。「ちゃんと説明をすれば、お父さんはわかってくれるはずなのにわらなかった。兄貴はちゃんと説明することができなかったにちがいがない」と思ってしまう人は、兄貴の説明能力に関して、誤解をする。あれは、兄貴の説明の力の問題じゃなくて、おやじの脳みその問題なんだよ。それが、「よそ」の人にはわからない。
俺の人生というのは、兄貴におけるハンダゴテ事件を毎日繰り返しているようなものだ。毎日、俺が誤解鵜を受けている。普通の人は、おやじに対する理解がないように兄貴に対する理解もない。なので、普通に、やられた人のことを誤解する。そういうふうに、できあがっている。普通のやつも、兄貴も、おやじも、そういうふうに「できあがっている」。
こんなの、説明したってむだなんだよ。俺が、いまここでやっているような説明を、できると思うか? 遅刻でもなんでも事態が発生したあと、それからやらなければならないことがあるのに、ずっと、説明することができるか? 朝遅刻したとして、きちがい兄貴のヘビメタ騒音がこうで、きちがい兄貴の性格がこうで、と説明できると思うか? 自己紹介のとき、ここに、数年間にわたって書いたことを、一〇分間で、説明できると思うか? 俺が、ヘビメタ騒音と、きちがい兄貴の性格と、きちがいおやじの性格について、短く説明しても、ほかのやつらはわからない。信じない。
俺は制限時間のなかで、適切な説明をしているけど、こいつらは、信じない。