自分でさきに差別しておいて、相手のコミュニケーション能力がたりないから、ダメなんだと思うようなやつもいる。たとえば、非国民にたいして、偏見がある人がいたとしよう。その人は、非国民であれば、だれだって差別する。
ある非国民が、自分の目の前に現れると、その非国民が、自分にたいしてなにも悪いことをしてないのに、「こいつは、非国民だからいじめてやろう」「こいつは、非国民だから、いじめてもいい」と思ってしまうのである。
それは、その人のなかの偏見に基づいた感情にすぎない。この場合、実際にいじめたら、その人が、偏見に基づいて簡単にいじめをするような悪い人だということになる。
けど、その人にとっては、まさに、非国民が悪い人なのである。
相手が、自分をばかにしてきたり、相手が自分のことを悪くいったり、相手が自分にたいしていやがらせをしてきたら、どう思う? そういう人と「円滑につきあおう」という気持ちになるか? 自分が相手になにもしてないのに、相手は、自分にたいしてさまざまな攻撃を加えてくる。
そういう場合、相手と仲良くなろうと思うか?
普通は思わない。それは、相手はそういうことを、してくる悪い人だからだ。そんなやつと、つきあいたいと思うかね? けど、そういう気持ちが非国民のほうにしょうじると、いじめたやつが……非国民だという理由で攻撃を加えたやつが……非国民は「人づきあいがへたくそだからダメなんだ」と思ってしまうのである。さきに差別をして、相手にたいして無礼な行為をしておいて、さらに、「相手がダメだから」自分が差別行為をし始めたと思い込んでしまうやつがいる。
「その人」とか「非国民」とかという言い方だと限界があるか?
たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんが普通の国民で、Bさんが非国民だとする。Aさんが、Bさんはいじめてもいいと思ってBさんをばかにしたことを言い、Bさんを殴ったとしよう。Aさんにばかにされ、殴られたので、Bさんは「Aさんとはコミュニケーションをとりたくない」と思ったとする。けど、そのBさんの態度が、Aさんにはコミュニケーション障害者の態度のように見える。なので、Bさんがコミュニケーション障害者だから、自分が殴りたくなったと、時間をさかのぼって解釈してしまうのである。
ようするに、Bさんが、コミュニケーションをとりたくないと思うきっかけをつくったのはAさんなのに、そのAさんが、「Bはコミュニケーションに問題があるから殴りたくなった」と思うようになるということだ。こういうことが、ある。
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相手の属性を考えて、相手の属性を認識したとたんに、相手にたいして攻撃を加えようと思う人間がいい人間なのかということだ。そして、こういういい人間とは言えない人間が、相手のコミュニケーション能力を問題にすることがある。
さきに侮辱的なことを言ったので、相手から嫌われているのに、それに気がつかず、相手のコミュケーション能力がたりないから、相手がそういう態度をとっていると思ってしまう……ようなあほな人がいる。で、こういう人は、なにも特別じゃない。