小さないやなことを思い出しすぎ。もう、いやだな。あまりにも、多い。そして、こまかい。これは、きちがいおやじがきちがい的な理由で怒り狂ってたことと関係があると思う。けど、それを言うと、また、頭がおかしい人たちから?……いや、常識的な人たちから攻撃されるからなぁ。これ、あんまり言われないことなんだけど、修正を試みる人たちから、攻撃を受けるんだよな。攻撃というのは、まあ、大げさな言い方だけどね。ぼくが言いたいのは、ほんとうは、きちがい的な親にやられなかった普通の人たちが、わりとひどいことを言うということだ。「そんなんじゃないのに」と、ここでも言いたくなるよ。プラグマティズム、還元主義、効率主義、認知療法、アドラー心理学、スピリチュアリズムといったものを信仰している人たちは、たいてい、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない。プラグマティズム、還元主義、効率主義、認知療法、アドラー心理学、スピリチュアリズムと並べて書いたけど、ようするに、普通の人たちは、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない。「攻撃」という言葉はちょっときついのだけど、まあ、使わせてくれよ。そっちから見れば、「攻撃なんかじゃない」ということになるのだろうけど、そうでもないんだよ。たてまえ攻撃を受けるんだよ。まあ、「そんなのは、被害妄想だ」ということになるのだろうけど、それは、どうかな? 本当のスピリチュアリズムはたしかに、ひどい目にあった人を攻撃するようなことは言わないけど、俗流スピリチュアリズムだと、ひどい目にあった人を「こそ」攻撃するようなことを言う。そして、それは、その人たちにとって「真実」なんだよな。軽い意味で「攻撃」という言葉を使うなら、まさしく「攻撃」している。けど、まあ、ほんとうにそういうつもりがないわけだから、しかたがない。ひどい目にあった人の気分を認めてしまうわけにはいかないんだよな。……普通の人は。……普通の人だから。