めちゃくちゃな、ヒマに耐えかねて、これから、買い物に行ってきます。
どっちに行くかまよっている……ところです。
しかし、「俺の人生ない」とか思っている……ところです。
「おかしいよな。これ……」とか思っている……ところです。
まあ、ハスの総菜は欲しいかな。けど、あれは、いつもあるわけじゃない。それから、ウナギのかば焼きも欲しい。けど、ハスの総菜が売っているところと、ウナギのかば焼きがあるところがちがう。
けっきょく、俺は、ハスの総菜を買えるだけの「よゆう」がある。「総菜」は割高だ。まあ、台所が使えれば自分で料理したほうがコスパは高い。
けど、食いたいものを食っても、ぼくのこころが、ふさがらない。ぼくの心にあいた大きな穴がふさがらない。で、まあ、こういうところに、「ぼくのこころが、ふさがらない」と書いても、読んだ人は「なに言ってんだ。こいつ」と思うだけなのは、知っている。けど、案外、重症なんだよね。薬を飲んだ場合、そこそこ治る可能性が2割、依存と離脱に苦しむ可能性が6割、依存と離脱に苦しんだうえに、さらに、別の病気を抱えてしまう可能性が2割ぐらいある。ようするに、8割ぐらいはうまくいかない。あれ、みんな、「医者に行け」ということをよく言うけど、悪くなる可能性のほうが高いということに気がついてない。まあ、いいや。長期騒音がなければ、きちがいおやじにやられていたとしても、「医者に行くこと」を、すすめられるということはなかった。長期騒音が長期騒音ではなくて、1か月で鳴りやむなら、「薬をすすめられる」ことはなかった。これ、おかしいんだよな。ほかのやつらは、きちがい家族にやらてれいない。だから、俺よりも有利な立場を確保しているだけだ。けど、それが、自分の才能だと思ってしまう。「やられてないだけ」なのに。きちがい家族にたたられなかっただけなのに……。すぐれているわけじゃないのに……。ばかなやつらだなと思う。他人に対するこういう気持ちは、はっきり言えば、まずい気持ちだ。持つべきではない。けど、きちがい家族にやられると、しょうじてしまう。ほとけさまや神様じゃないのだから、あんな騒音にたえられるわけがない。俺が生きているというだけで、すごいことなのに、まったくみんなわかってないな。