どれだけ、俺がヘビメタ騒音のしんどさを説明しても、わからないと思う。
世間の人はわからないと思う。それとおなじように、ヘビメタ騒音が鳴り終わった後の体の調子や、ヘビメタ騒音が前日数時間から十数時間ずっと鳴っていて、眠れない状態ですごしているとき、どういう状態なのか、世間の人はわからないと思う。「次の日の朝」……すでに、次の日になっているのに、起きたとき「前日」のヘビメタ騒音で、動けなくなっている状態なんてわからないだろう。どれだけ憂鬱かわからないだろう。それを、押し切って、動いているときのしんどさがわからないだろう。どれだけ説明しても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を俺と経験してない「普通の人」にはわからないだろう。普通の人は、自分の経験をもとにして、「しんどさ」を推し量るのだろう。「憂鬱」の程度を推し量るのだろう。けど、その推量は、まちがっている。ちがうものを思い浮かべて「こうだ」と言っている。「こういうものだ」と考えている。俺とおなじようにきちがい兄貴の……きちがい家族の……ヘビメタ騒音を経験した人しか、わからない。自分がやる気になって、夜通しゲームをしてつかれたとか、自分が聞く気になって深夜ラジオを聞いてつかれたとか、そういうことじゃないから。酔っぱらって、次の日、起きたら、つらかったとか、そういうことじゃないから。きちがいが鳴らす音をずっと聞かされるということの意味がわかってない。それは、無理やり聞かされるということだ。ぼくには、選択できないことなのである。きちがい兄貴を殺してやめさせるしかないのである。殺すことをさけると、やられたままになってしまうのである。きちがい兄貴はきちがいだから「やっているつもりが」ない。やっているさいちゅうも、「きちがいなので」やっているつもりがない。やり終わったあとも、「きちがいなので」やったつもりがないのだ。きちがい的なこだわりでやったことは、きちがい的なこだわりで「否定する」のである。その場合、「否定し終わったら」関係がない人になってしまうのである。あるいは、どれだけでかい音で鳴らしても、「でかい音をでかい音だと認めなければ」でかい音で鳴らしたということにならない。殺されないとわからないし、殺されてもわからないのだ。例会があるなら、殺されればわかるだろう。自分がやっていたことがどういうことなのかわかるだろう。例会がない場合は、殺されたってわからない。そういうことだ。
ともかく、この世で「どうしても自分が思ったとおりにやりたい」と思っている以上、そうするのである。その場合、相手が言っていることを認めてしまったら、思い通りにやり続けることができないと「無意識的に」思うことは、どれだけ明らかなことでも認めないのである。そうすれば、やり切ることができる。自分は何もしてないつもりでやり切ることができる。これが、きちがい兄貴のしくみだ。 そういう自分勝手なしくみが成り立っているのだけど、本人は無自覚だ。だから、そんなに重たいこととして考えないのである。俺が、どれだけ、ヘビメタで困っているということを言っても、きちがいおやじのように、怒り狂って、否定したら、それでおしまいなのである。どれだけやったって、やってないのとおなじ……そういうきちがいの境地に立って、やり続ける。だから、本人はほんとうに「まったくやってないのとおなじ」気分でいる。まったくやってない場合とおなじ気分でいる。「やりつづけてしまってすまん」とかそういう気持ちが一切合切なのである。「やめてくれ」と言われたけど、「やめたくないから、やり続けた」という認知が、すっぽり、抜け落ちしてしまっているのである。最初から「まったくやってないのとおなじ気分」で、鳴らし続ける。だから、やっている。しつこくやっている。やっているのだけど、本人は、「つもりがない状態」なのである。こういう、きちがい。きちがいとしか言いようがないだろ。そういうきちがい的なしくみが成り立っていることで、どれだけ、俺が「世間のやつ」から誤解を受けてきたか。きちがいおやじにやられたときは、兄貴だって、「世間のやつ」から誤解を受けて、的外れなことを言われて、怒っていたのに、自分がヘビメタを押し付ける番になったら、おやじとおなじやり方で押しつけて、押しつけたと思ってない状態が成り立ってしまう。それそこが、きちがいおやじが発狂してやり切ったことだ。で、こういう人は、そういう状態のまま生きてしまうのである。説得して変わるようなものじゃないのである。本人のなかでやる気がなくなったときは、やる気がなくなったのでやらなくなるけど、「絶対やりたい」と思っているときに、人に言われて、やめるということはない。人になぐられてやめるということはない。なぐられたら、もっともっともっと、意地になって、意地になって、やりきる。自分がやっていいことをやっているのに、なぐられたら、意地になるだろ。やっていいと思っているんだよ。だから、殺さなければならなくなる。やめさせるには殺さなければならないのである。そういう状態を「相手におつける」。けど、もちろん、自動的にそうなっているだけで、そういうことを押し付けているとは思わない。なんてたって、「やったってやってない」ことなのだから。
世間の人は、ヘビメタ騒音の影響というものについて、おおきく、誤解をしている。「そんなもんじゃない」のである。