あとは、ヘビメタ騒音で……長期間にわたるヘビメタ騒音で……新米二等兵か非国民にしかなれない状態になった。もっと言えば、非国民にしかなれない状態になった。ヘビメタ騒音がなければ、俺は、将校でスタートができた。これは、でかい。ヘビメタ騒音なんだよ。ヘビメタ騒音。俺にとっては、ヘビメタ騒音。ほかの人にとっては、どうだかしらない。
家でまったく勉強ができないということがどういう影響をあたえるかまったくわかってない。そりゃ、毎日やられれば、ひどいことになる。ひどい影響をあたえることになる。だいたい、たとえば、午後4時から、午後11時までやられると、実際には7時間しかやられてないのだけど、午後11時以降にこたえる。午後11時以降、勉強ができるかというとできない。そりゃ、7時間やられた影響が残っている。きちがい的な音の繰り返しを、7時間浴びてしまうということがどういうことなのかわかってない。そして、よく眠れないまま……じゅうぶんな睡眠をとれないまま、次の日の午前7時40分になっていて、急いで、学校に行くという場合、午前7時40分から、午後4時までの、学校にいる時間と、学校に行く時間と、学校から帰ってくる時間が、並じゃないのである。強烈にくるしい。子の苦しさがわかってない。この苦しさがわかってないやつが、「騒音で勉強ができないなんて言い訳だ」「騒音で遅刻してしまうなんていうのは、いいわけだ」と言うのが、ゆるせない。ほんとうに、一日だけ、2時間しか眠れない状態で学校に行ったとかそういう話じゃない。毎日、つもる。どれだけくるしいか。おまえら、集合住宅では絶対に鳴らせないようなでかい音で、騒音を鳴らす、きちがい家族がいないから、そういうことになってないだけなのに、まるで、俺よりすぐれていると思っている。自分だったら、たとえ騒音が鳴っていたとしても、ちゃんと宿題ができると思っている。自分だったら、ちゃんと遅刻しないで毎日学校に通うことができると思っている。しゃっきりと元気を出して学校の活動に参加することができると思っている。それは、たまたま、きちがい家族が、騒音を出すことに興味をもなかったから、維持されていることなんだぞ。おまえ、家族が、きちがい兄貴みたいなやつだったら、絶対に、睡眠時間、遅刻、宿題などに関して、影響が出る。朝、起きて、遅刻しそうな状態で、バス停まで走るときの、きちがい的なくるしさはない。前の日、よく眠ってないから、ものすごくくるしい。俺は、ヘビメタが鳴ってなかったら、そんな状態になってない……そういうことを、どれだけきちがい兄貴にいっても、きちがい兄貴が、きちがいおやじの態度で、無視して、鳴らしまくる。あんなの、ほんとうにマンションだったら、絶対に鳴らせない音だ。目の前が大きな幼稚園で、横のうちもそれなりにはなているからできたことだ。 一日だけで、相当にちがうけど、それが10日積もった場合、20日積もった場合、300日積もった場合、4000日積もった場合、5000日積もった場合ではちがうんだよ。かりに、5001日目に鳴りやんだとしても、5000日もやられたら、もう駄目な状態になっている。けど、こいつらは、5001日目に、鳴りやんでいれば、騒音なんて「鳴りやんでいるのだから」関係がないと思ってしまう。「過去のことなんてどうでもいい」「過去のことなんて現在に影響をあたえるはずがない」と思ってしまう。これは、まちがい。大まちがい。あほだから、そういう推論のまちがいに気がつかない。けど、ヘビメタにやられてだめになっているやつより、そいつらのほうが、立場が上だったらどうだ? 俺は、我慢しなければならなくなる。このあいだ、二等兵がどうのこうのということを書いたけど、騒音を浴びないで不通にすごせたからこそ、一等兵になっているやつら、将校になっているやつら、そういうやつらか、目下の人間として扱われる。こいつらは、目下の人間より自分は、人間的にすぐれていると思ってしまうような傾向がある。自分は目下の人間より自分は頭がいいと思ってしまうような傾向がある。目下の人間が言うことはまちがっているけど、目上の自分が言っていることは、正しいと思ってしまうような傾向がある。これも、ようするに、マインドセットだよ。さらに言えば、メタ・マインドセットだ。そういう立場のやつは、俺とおなじ騒音を経験したら、二等兵か非国民にしかなれない。けど、そいつは、運がよくて、きちがい家族にたたられなかっただけだ。しかし、きちがい兄貴のような頭がおかしい騒音魔にたたられなかったからこそ、俺よりも、優位な状態に立っている。そして、これは、まちがった考え方なのだけど「過去のことなんて現在に影響をあたえるはずがない」と思っているなら、俺が言っていることは、まちがいだと思ってしまう。こいつらは、「自分の推論」の誤謬に気がつかない。「過去のことは、現在に影響をあたえる場合もあるし、過去のことは現在に影響をあたえない場合もある」というのが、正しい。もっとも、過去のことは現在に影響をあたえない」というの場合の「あたえない」というのは、「無視できるほど小さな影響しかあたえない過去のできごとであれば、過去の出来事は、現在に影響をあたえないと言ってもさしつかえがない」という意味で「あたえない」と言っているにすぎない……という但し書きがつく。
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非国民というのは、比喩的な表現だ。現代の非国民は、無職と引きこもりだ。無職と引きこもりは非国民なので、下に見てもよいのである。見下してもいいし、説教してもいい。無職と引きこもりは、そういう存在だと腹の底から思っている……という意味だ。
二等兵というのも、比喩的な表現だ。二等兵というのは、ブラック企業の非正規従業員のことだ。まあ、ブラック企業の平社員を二等兵、その二等兵のさらに下を、新米二等兵と表現しておいた。