殺人的につまんないな。
この人生、なんだよ??
どれだけやっても、ヘビメタ騒音で足を引っ張られる。ほかの人にはないヘビメタ騒音で足を引っ張られる。ほかの人は、「ない」からわからない。体験の範囲にないから、わからない。わからないだけなのに、まるで、自分が俺より優れているから「そうなってない」と思っている。それから、まるで、自分のほうが俺よりも、騒音耐性があるから「そんなにふうになるわけがない」「どうにかなるはずだ」と思っている。こいつら、たまたま、運がよくて、『きちがい兄貴』がいなかっただけなのに……。こいつら、たまたま、運がよくて、きちがい兄貴が、きちがい的なこだわりで、きちがい的にでかい音でヘビメタを鳴らさなかっただけなのに……。まるで、自分の能力だと思っている。自分のほうが、その能力がある分、俺より、優れていると思っている。
どれだけのハンディになるか? 身をもって経験してないからわからない。これ、こんな人生ない。こんな、人生ない。
明治以降、一部の恵まれた人を除いて、一般人は、「学校システムのなかの競争」に参加している。そして、ひとたび、組織に所属すくるとなると、そこには、上下関係がある。上下関係というのは、なにも役職の上下関係ではない。先輩なら、先輩だ。先輩のほうが後輩より、上なのである。また、試験システムによって、ランクわけがされる。言ってみれば、二等兵か、将校かが決まってしまう。二等兵になったら、だめなのである。二等兵には権利がない。最初から、将校で始めることができるように、ゲームを進めなければ、どれだけやってもうかばれないということになる。まあ、抜け道はあるけど、その抜け道というのは、詐欺の道だ。あるいは、それに類似したことをする抜け道だ。ともかく、一部の例外はあるけど、大半は、学校のシステムによって選抜、分別される。労働者になる一般人には、なんとかして、学校のシステムを駆け上がるしかない。まあ、落ちるのは楽だ。落ちるのは楽なんだよ。上がるのは、学校システムを使うか抜け道を使うかしかない。まあ、どういう場合でも、落ちるのは楽なんだよ。上がるのは、たいへんだ。一度、一般人のレールから外れたら、もう、その時点でたいへんなハンディを背負うことになる。けど、公平な競争の結果そうなったのだから、それは問題がないことだとされる。きちがいヘビメタというハンディを背負ってしまったら、どれだけ努力しても、二等兵にすらなれないという状態になる。けど、他人には、きちがいヘビメタ……お兄さんのヘビメタ騒音がそんなにすごいハンディになるとは思えない。ヘビメタ騒音の影響を無視してしまう。実際、そいつらにとっては……「なかった人」にとっては、想像するしかないことであって、想像力がないと、想像することができないので、自動的に、「ヘビメタの総量」が無視されてしまう。こっちの時間、こっちの努力、そういうものが無視されてしまう。そうなると、相手には、ぼくが「二等兵にすらなれない、ばかなやつだ」ということになる。佐藤らの一般人の反応というのは、そういう意識がベースになっている。
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