そういえば、昨日、免許の更新に免許センターまで行ってきたんだけど、講習で気になったことがある。それは、「あなたは、事故を起こしてしまいました」というナレーションだ。こんなの、言霊主義者が聞いたら、どう思うだろう? この言葉を聞いただけで、実際に事故起こしてしまうと思うにちがいがない。そう思わないわけがない。こういうのを、さらっと流せる言霊主義者は、真の言霊主義者じゃない。言霊主義者のふりをしているだけ……。自分に都合がいいときだけ、言霊主義者のようなことを言っているだけ。ようするに、ニセの言霊主義者だ。真の言霊主義者は、実際には生活ができなくなる。免許センターに行って、講習を受けただけで、「事故を起こす」という「のろい」がかかってしまうからだ。そして、その「のろい」は一〇〇%、絶対に成就されなければならないのである。ぼくが「成就される」と書かないで、「さなければならない」と書いたのには、意味がある。ぼくはやさしいので、相手を追いつめるようなことをしたくないのである。
真の言霊主義者は、こういうことが脳みそに書き込まれてしまうのである。彼がどれだけ事故をさけようとしても、無意識のほうが「事故を起こす」ことを指向してしまう。そして、こういう言葉には「時間制限がない」ので、生きているあいだ、ずっと続いてしまうのである。だから、言霊主義者が、本人にとって都合が悪いときも言霊にこだわるなら、生活ができなくなる。生活ができているのは、真の言霊主義者ではなくて、ニセの言霊主義者だからだ。
ニセの言霊主義者は、こういう問題があるということにすら、「気がつかない」。どれだけのご都合主義か? 彼らは、言霊主義者のようなことを言っていても、ご都合主義者なのである。もちろん、ご都合主義者でいい。言霊というのは、ご都合主義者でなければ生活ができくなるような、問題を抱えた考え方なのだから、ご都合主義者であって、まったく問題がない。ご都合主義のうえに、部分的に「自分に都合がいい言霊主義」が成り立っているだけだ。真の言霊主義者ではないので、自分にとって都合が悪い言霊は、ごく自然に無視できるのである。こんなのはない。彼らが意識的に主張していることと、彼らが、ほんとうに生活のなかで信じていることが、くいちがっているのである。むしろ、正反対。彼らは、ご都合主義者であって、言霊主義者じゃない。けど、言霊の話をしているときは、あたかも、自分が言霊主義者であるかのような気持ちになっているのである。そういう、レベルだ。
彼らが使う「真実」という言葉に、どれほどの「真実」がやどっているか?
そんなのは、こういうことを考えただけでわかる。一切合切、真実なんてないレベルなんだよ。その時の気分だけ!!! 人生を貫く真実ではなくて、気分だけのブレブレの言葉なんだよ。宇宙を貫く一大法則ではなくて、単なる、気分で言っていることなの。自分で気がつかないだけなの! だから、「真実だ」などとよく考えもしないで言っているの!
俺の言っていることは、だれからも、理解されない。いや、おおぜいの人には理解されない。おおぜいの人がどれだけの「偏見」を持っているか? 偏見を取り除くことなんてできないんだよ。偏見を取り除いたら、生活でできくなる。どんなひどい発達障害よりも、ひどい反応を示すことになる。こういうことが、まったくわかってないんだよな。だから、差別撤廃も、偏見をなくしましょうという言葉も、ニセ言霊主義者の信念のように「かるい」ものだ。人間の本質がわかってないからそうなる。