他人は、ヘビメタ騒音がぼくにどれだけの影響をあたえたか、わからない。
どうしてかというと、他人だからだ。別の個体だからだ。実際に経験してないからだ。
他人の頭のなかにあるヘビメタ騒音というのは、ぼくの話を聞いて「想像しただけ」のヘビメタ騒音だ。実際はちがう。時間というのがある。一日のなかで鳴らされた時間と、一日のなかで鳴らされたあとの時間。どれだけ、鳴らされたあとの時間が、「一日中鳴らさなかった場合」の静かな時間と違いがあるか、ほかの人には、わからない。経験がないからだ。一生のなかで、鳴らされた時間と、一生のなかで、鳴らされたあとの時間。ほかの人には、一生のなかで、鳴らされたあとの時間が、どういう時間なのかわからない。もっともこれは、普通なら、時間ではなくて、期間というべきだ。一生のなかでという場合は、期間というべきなのだけど、あえて、期間とは言わない。この場合は、あえて、時間と言いたい。ほかの人には、わからないから、鳴り終わったあとの時間は、鳴り終わっているのだから、関係がないと思うだろう。けど、関係があるのだ。しかし、ほかの人にはわからない。そうなると、ほかの人は、自動的にぼくをみくびるようになる。下に見る。軽蔑する。そうならざるをえない。どうしてかというと、ヘビメタ騒音で生じた体の症状が、すべて、「ダメ人間問題」にかかわることだからだ。引きこもり、無職・無職歴、遅刻・遅刻歴、学歴、睡眠障害、疲労・虚弱、ネガティブ、うつ病、不活性、無感情。体の症状と書いたけど、もちろん、「臓器としての脳」を含む。脳を含めて、ヘビメタ騒音でこれらの症状がしょうじているのに、ほかの人は、ヘビメタ騒音は関係がないと考えるので、もともと、そうなんだと考える。こいつらは、自動的に俺を見下している。しかも、その自覚がない。そいつらにとっては、「ヘビメタ騒音なんて関係がない」からだ。ゆるせるか? こんな現実がゆるせるか。きちがい家族が横の部屋で、ヘビメタをものすごくでかい音で鳴らすと、あかの他人から、ぼくが下に見られるのだ。関係性はある。しかし、あか他人からすれば、関係性はないのである。その他人は、ヘビメタ騒音生活を11歳のときから25歳まで、つづけた経験がない。学歴や無職歴や遅刻歴にどういう影響をあたえるか、わかってない。自分のこととしてわかってなければ、まったくわかってないのとおなじだ。だから、不適切なアドバイスを、してしまう。しかも、ヘビメタ騒音の「実際」がわからなければ、自分が不適切なアドバイスをしたということも、わからないのだ。完全にわからないようになっている。自分は適切なアドバイスをしたと思っているだろう。「あたりまえのことをやったにすぎない」と思ってるだろう。これが、どれだけ人をばかにしているか、わかってない。
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なんで俺だけ、きちがい兄貴にやられて、二等兵にならなければならないのか? なんで俺だけ、きちがい兄貴にやられて、人間魚雷にならなければならないのか?
それで、あたりまえ?
ふざけるな! ゆるせない!!
俺ができないと言っているだろ!!
俺ができないと言ったら、できないんだよ!!
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世間?
世間は行ってくるのさ。
それであたりまえだってな。
あたりまえだ!あたりまえだ!!あたりまえだ!!
甘えんな!!甘えんな!!甘えんな!!
けど、そういうふうに言っているやつらは、ヘビメタ騒音を経験してない。条件がぜんぜんちがう。ハンディがぜんぜんちがう。どれだけのハンディになるか、まったくわかってないやつらだ。侮辱するな! 侮辱なんだよ。侮辱するな!