濃いお茶を飲んでいるのだけど、コーヒーが飲みたいな。あの腹痛の日から一杯も飲んでない。飲めばまた、腹がいたくなる予感があるが……。そして、一杯飲めば、次の日も「大丈夫だろう」と思って一杯、飲んでしまうかもしれないけど……。これ、一日に一杯ぐらいなら、飲めるようにしておいてほしかったな。もう、だめみたいなんだよな。
あとは、貧乏云々に書いておくと、貧乏ということばの感覚が人によってちがうんだよね。たとえば、「子供のころ貧乏だった」とAさんとBさんが言っても、貧乏さの度合いがまるで違うことがあるかもしれない。ようするに、Aさんにとっての「貧乏」のイメージとBさんにとっての「貧乏」のイメージがちがう場合がある。もちろん、だいたいの範囲で一致していることもある。けど、ちがう場合もあるのだから、ちがう場合を考えないというのは、態度としておかしい。
もう一つは、親の「金に対する態度」の問題がある。たとえば、Aさんの親が月に手取り13万円で、Bさんの親も月に手取り13万円だったとする。そのような場合でも、Aさんの親が、きちがい的な意味で、金に執着するなら、そして、Bさんの親がきちがい的な意味で金に執着しないなら、月給が同じでも、子供が持つ気持ちにちがいがしょうじることがある。こっちのほうがでかいと思うけど。人それぞれに金に対する態度がちがうから、「親」であるAさんの親と、「親」であるBさんの親で金に対する態度がちがう場合が考えられる。
また、子供にどのくらい金を使うつもりでいるかということも大きなちがいになるだろう。子供に一切合切金を使いたくない気持ちがある人が親である場合……とくに、無意識的なレベルで子供に一切合切金を使いたくない気持ちがある人が親である場合は……たとえ、月に手取りで17万円稼いでいたとしても、子供は「自分のものを買ってもらえなかった」という意味で、「貧乏」だと感じるだろう。この親を持つ子供がCさんだとする。
BさんとCさんを比べると、親の年収は、Bさんのほうが高い。にもかかわらず、Bさんの親が普通の親で、貧乏?低所得ながらも、子供の気持ちをくんで、可能なものはなるべく買ってやったということがあるとすると、Bさんの家のほうが貧乏だから、Bさんのほうが貧乏だとは、言えなくなる。 けど、所得はCさんの親のほうがBさんの親よりもあるので、Cさんは、Bさんよりは貧乏じゃないと言われてしまう。まあ、だれに言われるかというと、Bさんに言われることもあるかもしれないし、まったく関係がない人に言われる場合もある。ようするに、「自分の家」のほうが貧乏だったから、自分のほうが貧乏だとは、かならずしも、言えないということだ。
しかし、子供のころの親の年収についていちいち言及して、貧乏かどうかを語る場合は少ない。おのおのの貧乏エピソードは、貧乏エピソードとしてよくあるエピソードかもしれないけど、私は、Cさんのほうがつらかっただろうなと思ってしまう。
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