ヘビメタが、ドガドガガガガと鳴ってた。ものすごい音で鳴ってた。
この、外出する前の、憂鬱で腹立たしい気持ちはなんだ。不愉快な気持はなんだ。いちいち、外出する前は、きちがいヘビメタが鳴っていたときの気持ちと同じ気持ちになるだろ。この、後ろ髪をひっぱられるような気持ちはない。やり残したことがあるような気持ち、は、ない。あせっている気持ちはない。こんなの、ない。きちがいが、きちがい的な意地でやったから、俺が、こんな気持ちになる。こういう状態になる。寝不足、寝不足、寝不足。眠れない夜。眠れない夜。眠れない夜。起きてからの苦しさといったらない。あれを!! あれを!!! あれを、軽い気持ちでやったのか。普通の人が普通にラジオを聞いているつもりでやったのか。普通の人が普通の趣味をしているつもりでやったのか。きちがいおやじの、怒り狂いとおなじなんだよな。「やめてくれ」と言われたら、怒り狂って、絶対の意地でやってしまう。けど、本人は「つもりがない」ままなんだよ。こんなの、ない。悪いことをやっているのは、きちがい兄貴なのに、俺が悪く言われる。ほんとうに毎日そういうことの繰り返しだと、一か月ぐらいで、なんとも言えないいやな気持になり。一年ぐらいで、死にたい気持ちになる。言いたいことは、言ってた。けど、きちがいが、きちがいだから、きちがい的な脳みそで、俺の言っていることを聞いて、きちがい的な頭で判断して、怒り狂って無視するのである。だから、けっきょく自分がやりたいことはやり通す。自分がやりたいことというのが、名いっぱいでかい音で、ヘビメタを鳴らすことだった。だから、めいいっぱいでかいおとでヘビメタを鳴らす。ずっと鳴らす。やりたいことが、すべての可能な時間、鳴らすことだったので、すべての可能な時間、鳴らす。一歩も譲らない。しかも、ほんとうに、やったつもりがないのである。本人は、普通の音で鳴らしているつもり……で、いるらしいのである。自分がヘビメタ軟調になるほどでかい音で鳴らしているのに、「こんなの普通の音だ」と本気で思っているのである。自己催眠で、そう思うことになっていて、どれだけ「でかい音だ」ということを言われても、「でかい音だ」ということがわからない状態になっている。そういう状態のままならしたら、どれだけでかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしたということにならないのである。本人の主観としては……。こういう、うそ。きちがい的なウソ。きちがい的な言い換え。きちがい的な思い込み。そして、それを、指摘されると、きちがい的に怒り狂って無視するという反応。全部、きちがいおやじが、普通に毎日やってきたことなんだよ。きちがいおやじがすべての日、やってきたことなの。だから、きちがい兄貴も、それをまねして?やり切る。きちがいおやじときちがい兄貴の頭が同じ構造。自分が、一歩も譲らずにやり切れば、なにもやってないつもりになる。「そんなんじゃない」のである。これも、きちがい的な構造。こういうことを、普段普通にやるんだよな。全部の時間、そういう頭で生きている。まあ、さすがに「よそ」でそういうことをやると、頭を押さえつけられるから、やらない場合もあるのかもしれないけど、「うち」では普通にやる。そして、きりかえているつもりがないのだ。どれだけこまるか。きちがい兄貴ときちがいおやじで、頭の構造が同じ。まったく同じ。
人を殺すようなことをして、まったくそういうつもりがないまま生きている。人を自殺に追い込むようなことをしてまったくそういうつもりがないまま生きている。人を社会的に破滅させておいて、まったくそういうつもりがない。
こんなのない。普通に考えればわかることなのに、考えるまでもなく、わかることなのに、どれだけ言われたって、まったくわからないまま、やり通す。そして、やり通したという気持ちがない。認識がない。そういう、毎日。そりゃ、家族なら、人を社会的に破滅させることができるよ。そういう、催眠術にかかっているなら、そういうことができる。まったくつもりがないまま、やりきることができる。きいてやらないわけだけど、訊いてやらなかったという気持ちもない。そんなの、認識できるはずがない。そういうことを認識できるのであれば、最初からやらない。そういうことだ。そういうことが認識できない「つごうのいいあたま」だから、現実を無視してやり切ることができるのである。そして、現実を無視してやり切ったということを、完全に無視することができるのである。
どれだけ、こまるか。
いちいち外出するたびに、こういう葛藤にまきこまれてしまう。俺がこの世で、数万回?繰り返してきたことだ。そりゃ、やられるから、そうなるのである。不可避的にそうなる。これがどうしてわからないのか? そして、学生時代を通してやられ続けたら、社会的なハンディがしょうじるのである。このハンディがまた、でかいんだよ。けっきょく、おなじ海のなかを泳ぐことになる。おなじ汚水のなかを生きることになる。ヘビメタ騒音が15年目になり終わったあともおなじ。もう、社会的には殺されているので、おなじなのである。