気違い親父が「そんなのかわなくていいよぉーー」「そんなのかわなくていいよぉーー」「そんなのかわなくていいよぉーー」と弱った体で、精一杯叫ぶのである。変なイントネーションで叫ぶ。殴ってやりたかった。そして、殴ってやりたい気持ちを抑えたから、ぼくが、こなごなになっている。こなごなだよ。ボロボロだよ。ボロボロ。
ほんとうに、こんなのない。特養の人間が、俺におやじのシャツとズボンを買ってきてくれといったから買ってきてやったのに、それに対する言葉がこれだ。車いすに座ったまま「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と叫ぶ。ほんとうに頭を殴ってやりたかった。殴ってやりたい気持ちを抑えて、ぼくが壊れた。
これで、俺が「ああそうか」と買わなかったら、徳陽の人間から俺がどんなふうに言われるか? そういうことを一切合切考えてない。きちがいおやじの感覚として「もったないから」そう言っている。まあ、俺に「迷惑をかけたくない」という気持ちがあるんだけど、それがおかしいのである。あたまがおかしいから、そういう気持ちも、きちがい的な表現になってしまうのである。これ、自動的でとまらない。おやじは無意識的には俺を虐待してきたことを知っているのである。無意識的には!!! 無意識だから困るんだよ。そういうふうに、なっちゃうんだよ!!! 無意識だから!! ちゃんと反省してないのである。おんなじことをやる。「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と言って怒っているときの頑固さは、はんだごてのときの頑固さとおなじなのである。自転車の頑固さとおなじなのである。コップで水を飲んだということで怒り狂っているときの頑固さとおなじなのである。こういうことが、佐藤のような普通の人間には、まったくわからない。いい服を着た、人権派の心理学者にはまったくわからない。
買わなかったら? 買ってやらなかったら、俺が、まるでおやじをいじめているように言われる。買ってやったのに、特養の人から、服をもらって着ていたのである。その服は、まあ、おさがりみたいなものだよ。ごみ処理。おやじは、もらえるとなると、うれしいんだよ。そういうのがある。ほかの人が……大人の人がまったくわからないレベルでそういう気持ちがある。「ほかの人」じゃないとだめなんだよ。「よその人」からもらわないとだめなんだよ。おやじは、くるっている部分を抜かしても、変人なんだよ。孤児なんだよ。浮浪児なんだよ。ててなしご。母親がいない、うえたがきなの。こういうの、ほんとうに、いい服を着た、人権派の心理学者はまったくわかってないからな。こういう基本がわかってないので、どうして、親子関係について言及できるのか??? できるのか?? できるのか?? 障碍者の犯罪について言及できるのか?? 言及できるのか??
さらに言っておくけど、アドラー流の「他人と自分問題を切り分けて」かかわらなければいいというのも、いい服を着た、普通の家で幼少期をすごしたやつのたわごとだ。ぜんぜん、現実的じゃない。
おやじが特養から追い返されたらどうするんだよ。ネズミがいるんだぞ。あいつが、餌付けして呼び寄せた、何匹ものネズミがいる。おやじの急性胆嚢炎は、ネズミのせいだと思う。あんなネズミがいっぱい出てくるところですごしていて、いいわけがない。きちがいおやじは、これまた、浮浪児感覚で、ネズミのうんこなんて気にしないんだよ。ネズミの小便で部屋がむっとした感じで臭くなっているのに、俺が「くさい」と言うと「くさくないくさない」と真っ向から否定した。これも、はんだごてとおなじなの。