足の引っ張られ方が尋常じゃない。そして、それがほかの人にはまったくわからない。やられてない人にとっては、どれだけ説明されても「ない」ことなので、「そんなことはない」ような気がするわけだ。けど、ハンディが並じゃない。ほかの人が俺の話を聞いて想像できるようなハンディじゃない。そんなものではないのだ。ヘビメタのキーキーという音がすべてを破壊する。ヘビメタのガガガという音が、すべての希望を破壊する。すべての可能性を破壊する。きちがいヘビメタが鳴っているときは、酒に弱い人が酒を飲んだような感じになる。そのあとも、ぬけない。これ、毒に対する体の反応というのは、「意志の力では」どうにもならないと考えたほうがいい。
けど、ほかの人は、ヘビメタ騒音が毒のようなものだとは思ってない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、至近距離だから、毒のような役割をする。持続時間が長すぎる。ほかの人はまったくわかってない。ヘビメタ騒音を、きちがい兄貴やられたことがない人が、「意志の力でどうにでもなる」ということを言う。
もう、ここで、世間の人間とのあいだに溝ができる。……そういうことを、きちがい家族によるものすごい騒音を経験してない人が言った時点で、ぼくは破滅的な気分になる。こんなの、うまくいくはずがない。そして、俺の体はきちがいヘビメタ騒音「毒」で、みたされている。きちがいヘビメタ騒音「毒」が体の中をまわっている状態だ。
いつも、くるしい。利己的で、理論的?な人たちは、そういうことも、否定する。もちろん、ヘビメタ騒音「毒」が……というのは、比喩的な表現だ。俺が言いたいのは、やられたあとも、……影響が残るということだ。
しかし、この人たちにとっては、そんなことはないのである。もう、いいよ。ゆるせない。ともかく、ゆるせないから。きちがい兄貴も、こういう判断をしたやつもゆるせない。
ともかく、きちがい兄貴のやり方だと、きちがいおやじのやり方とおなじで、世間との間に溝ができるのである。やられた人と、世間との間に溝ができる。世間が、こういうことを理解するということはない。
ともかく、足のひっぱられ方が、尋常じゃない。ものすごい量、破壊される。やる気、意欲、記憶力、睡眠力、単なる体力、生活持久力のような意味での体力、すべてが破壊される。やられた時のひどい感じがほかの人にはわからない。
実際にやられてない人にとってみれば「そんなの鳴ってたってどうにかなるようなこと」なのである。
そんなんじゃないと俺が言っても、経験したことがない人は、わからない。「対応物」がないのでわからない。「対応経験」がないのでわからない。ないものは、ないんだよ。そして、下に見る。俺を下に見る。きちがいヘビメタ騒音が鳴っていいる限りこういうことの繰り返しだった。俺は、きちがいヘビメタで疲れはてている自分がいやでいやでしかたがなかった。身体感覚として、いやだった。 ともかく、まるまるまる。まるまるまる。