そういうレベルの話じゃないのに、「なっちゃった人」じゃないとわからないか?
わからないんだろうな。自分にとって有害な刺激が、ずっと毎日続く生活をしたことがない人にはわからない。まあ、わからないほうが、いいとは思う。けど、すべての発言が「ずれ」ているんだよな。ぜんぜん違う世界の話なのだから、しかたがないけど、ここまでずれてくると、やはりもう、他人とはつきあえないということになる。
つまんない。つまんないけど、タネはまいておいたからな。そのうち、収穫できるだろう。
しかし、どうするか?
みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音でうつになるということは、たたかれたところがいたいと感じることとおなじことだ。別に、騒音でうつになろうと思って、うつになっているわけじゃないのである。長すぎると、定着する。期間が長すぎると定着してしまうのである。一四年間毎日、とてつもなく憂鬱だと、一五年目に刺激がなくなっても、憂鬱なままなのである。まあ、そのあいだに、基本的な部分が破壊される。そして、そういうきちがい的な苦痛がなかったやつから、軽く見られ、侮辱される。働いてない期間が持っている意味というのは、重要だ。まあ、ブランクというやつだけど、これは、学歴以上の影響を与える。そして、きちがいヘビメタ騒音で生じる問題は、いわゆるダメ人間の問題とおなじなのである。かぶってしまう。そして、「努力」でどうにかなるような問題だと認知されてしまうのである。ようするに、努力してないからダメなのだということになってしまう。これは、朝起きるというようなわりと目に見えることだけではない。朝、一定の時間に起きることができないというのは、個人としてだめだという感じがする。日本では特にそうなのである。しかし、きちがいヘビメタにさらされて、そのうち、七年間、毎日、一定の時間に起きて学校に通ったなら、もう、八年目からは、どれだけがんばっても、だめになる。これは、人間として当たり前のことなのだけど、ぼく以外の人間がそういうことを経験してないので、「努力」の範囲だと思われてしまうのである。こんなのは、ない。きちがい兄貴が、普通の基準を無視して、きちがい的な基準で、きちがい的にでかい音で、きちがい的に長い時間、きちがいヘビメタを聴いてしまうと、ぼくが、ほかの人からダメな人間だと思わるようになってしまうのである。そして、今回言いたいのはそれだけじゃない。この、一定の時間に起きるというようなわりと目に見えることではなくて、「こころのもちかた」という点でも、おなじことが言われてしまうのだ。ようするに、楽しめない人は、楽しもうと努力してないからダメなのだということが、さも正しいこととして言われてしまう。 そういうことを言いたいやつは、多い。普通の人間は、そういふうに思っている。ようするに、自分の気持ちをよい状態でたもつことは、だれでもできるのに……できるはずなのに……そういう努力をしない人間がダメなのだという意見を持っているのである。まあ、これも、自己責任論とむすびつく。ようするに、つまらない気持ちでくらしている人間は、楽しくなろうとする努力をしないからダメなのだという意見を持っている人が、日本では、そーーとーーに多い。これは、どんな理由があっても遅刻をするべきではないというような信念とおなじだ。そういう人が、多い。これは、アンケート調査でもしないと証明はできないけど、ほんとうに、この時代の、たいはんの日本人が、そう思っていると、ぼくは思う。これも、たぶん、共同幻想か、あるいは、いくつかの共同幻想から必然的に見びき出される幻想だと思う。(まあ、アンケート調査をしても、「証明」はできないのだけどね。)