きちがい系の親にやられた人は、なかなか学者になれない。だから、主流にはなれない。
まあ、俺の場合、きちがい系の親にやられても、きちがい兄貴がヘビメタを「自分が思った通りの音で鳴らすこと」にこだわらなければ、学者ぐらいにはなれていたと思う。きちがい系の親はたいてい、収入が少ないドケチだ。たぶんだけど高収入であるきちがい系の親と低収入であるきちがい系の親の割合を考えると、定収入であるきちがい系の親のほうが、割合的に高いと思う。たぶん、9割ぐらいが、きちがい親であって、なおかつ、貧乏・かねなしだ。きちがい親で、金持ちというのは少ないと思う。
けど、きちがい親であって、なおかつ貧乏というハンディをぼくは、はねのけることができたと思う。それだけなら……。きちがい親の問題だけなら……。これに、きちがい兄貴の「騒音」が付け加わると無理だ。これ、誤解している人が多いけど、きちがい兄貴の「騒音」は全体的な障害だ。障害の大きさがわかってない。貧乏とか、きちがい親なんかより、ずっとハンディになる。どうーーーやっても、むりなのだ。生活のすべての時間鳴らされると無理だ。もちろん、すべてというのは、この場合は、ほとんどすべての時間ということだ。きちがい兄貴が眠っている時間、きちがい兄貴が一階で飯を食っている時間、きちがい兄貴が風呂に入っている時間をのぞいて、すべての時間きちがいヘビメタが鳴っている。きちがい兄貴がトイレに入っている時間だって鳴っているよ。ただし、きちがい兄貴がうちの玄関を開けて、自分の部屋に入るまでの時間は、鳴ってない。部屋に入ったら、すぐに鳴りはじめるけど……。これ、ほんとうに、ものすごいことなんだよ。あの音のでかさで、自分がきらいな音が、どかすか・どかすか常に鳴っているというのは、ものすごいことだ。これ、「どかすか・どかすか」などと文字で表現するしかないのが、くやしい。ものーーすごーーい、音で鳴っている。きちがい兄貴だって、あれと同じ音量で、自分の嫌いな曲が鳴っていたら1分どころか、10秒で「うっさい うっさい うっさい」と逆上するような音だよ。そういう音のでかさで鳴らしているのに、自分が鳴らしたい音だと「普通の音だ」と感じてしまう。「たいしてでかいとで鳴らしてない」と本気で思ってしまう。きちがいだから、そういう、言い換え回路が完ぺきなのだ。これは、おやじとおなじだ。こういうところが、おやじの脳みそとまったく同じ。おやじの脳みその構造とまったくおなじ。全体的なプロセスが同じ。無意識的な言い換えが、ほんとうに強すぎる。「本人は常につもりがない状態」というのが「普通に」成り立っている。自分の認知としては、そうなのである。意識的な認知というのが、つねにそういうふうに、自分の都合がよいように、ずれているのである。現実に対処してないのである。現実をそのまま認知しているわけではないのである。(だから、「すべては感じ方の問題だと言ってしまうのには問題がある」)。
けど、俺みたいに 「すべては感じ方の問題だと言ってしまうのには問題がある」という立場は……主流にはなりえない。「すべては感じ方の問題だ」と言い切ってしまったほうが、気分がよいのである。そういうレベルのなのである。そういうレベル。