いままで、ずっと忘れていたのに急に思い出すなぁ。ほんとうに、悲惨。「僕はこんなところにいる人間じゃない。ヘビメタ騒音さえなければ……」。……こんなことは、どれだけ言ったってしかたがない。けど、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1でやっていけるはずがない。問題は、経歴が悪くなると、だめだということだ。ヘビメタ騒音は積み重なる。初期の問題が1だとすると、後期には、1兆ぐらい積みあがっている。そして、1兆の積みあがった体で、やらなければならなくなる。そうなると、人からバカにされたり、誤解されたりする。そういうことが、増えていく。これも、積み重なっていく。本人の努力というのは、とっくのとうに、ヘビメタ騒音でかき消されている。ヘビメタ騒音で、マイナスの努力が積みあがっていく。これは、悪い努力だ。死に体たる努力。心が荒れる努力。きちがいヘビメタ騒音「で」どうしてもそうなる。けど、きちがいヘビメタ騒音でそうなっているということは、他人にはまったく見えない。言ったってむだだ。そりゃ、佐藤の反応を考えてみればわかるだろう。説明したってむだなんだよ。
ほかの人にとって「兄貴の」ヘビメタ騒音がどうでもいいことだということは、説明したあとも変わらないんだよ。きちがい兄貴のすさまじさ。強烈な意地。頭がおかしい態度。全部、ほかの人には、わからない。全部ほかの人には関係がないことだ。けど、俺には、関係がある。ほかの人が考えているように、影響を受けないということは、「できない」。けど、ほかのやつは、どれだけやられたって、影響を受けなければいいんだ。無視すればいいのだということを言いやがる。これも、ヘビメタ騒音というのが、頭のなかのことなら、それでいい。自分には関係がない聞いた話……そういうことがあったということを聞いただけの思念(あるいは記憶)なら、実際には、まったく、自分の生活に影響を与えていないのだから、「無視しようと思えば、無視できること」だと思える。
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アルバイト先で「まるまるさんはやりやすいから、いい(好ましいという意味)」というようなことを言ってしまったのだけど、ほかの人が、ひどすぎるんだよ。けど、「まるまるさんはやりやすいから、いい」と俺が言ったということが、そのまるまるさんに伝わると、まるまるさんは、いい気持ちがしない。ほかの悪いやつが「エイリがまるまるさんのことをなめているぞ」とか言いやがる。このほかの悪いやつは、ほんとうに悪いやつなんだよ。おまえらの性格がおかしいから、おまえらには話しかけずらく、やりにくいという意味なんだよ。もう、忙殺されて、いろいろと、どうでもよくなって、たとえばの話だけど「まるまるさんはやりやすいから、いい」というようなことを言ってしまう。軽い気持ちで言ったことだけど、言われた人……まるまるさんは、そりゃ、気持ちがよくないだろ。「おまえ、なめるなよ」というようことを言ってきた。「いや、なめてませんよ」と言っておいたけど、他い悪いやつとの比較で言ったということは説明しなかった。
この悪いやつはほんとうに悪いやつなのである。いちおう会社のなかで地位が高いのだけど、なんて言うのかな?性格がおかしい。で、なんて言うのかな……いろいろなところに、こいつがいるという影響が波及していく。俺とこいつの関係じゃなくて、俺とほかの人の関係に、こいつがいるということが影響を与える。こいつだって、俺がヘビメタ騒音にやられてなければ、そもそも、俺のほうが職階が低いとしても、ああいうふうな態度にはならないんだよ。ヘビメタにやられていると、まず、遅刻ということで、発言力が弱くなる。立場が弱くなる。あとは、もう、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1で「きばって」やっているわけだから、いろいろなところに穴があく。きちがいヘビメタ騒音は「つもる」。これがわかってないのであ~る。ほかの人は……。そして、履歴としても「ぱっとしないもの」が積み重なっていく。「ぼーっとしないで」とか「いつも、憂鬱そうで覇気がない」とか言われる状態になる。それは、気張っていてもそうだ。気張るというのは、本人としてはそういうふうに言われないように努力するということだ。けど、ヘビメタ騒音で疲れているので、どうしても、気張っている状態が、長くは続かない。ちなみに、気張っている状態も、非常にまずい状態なのである。これは、ほんとうに、毒ガスのなかで全力疾走しているような状態だからよくない。ほかの人は、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1の俺を、本来の俺だと思ってしまう。そりゃ、バカにするだろ。で、こういう現実を押し付けられる。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、きちがい的な態度で、きちがい的にこだわりがあるヘビメタを、自分がやりたいようにやるとなると、こうなってしまうのだ。俺が、「よそで」こうなってしまう。ほかのやつが知らないのは、わかるけど、きちがい兄貴なんて、どれだけ言われたって、ほかのやつより、知らない状態なんだぞ。これが、きちがい兄貴と言っているゆえんだ。俺が、兄貴のことを、「きちがい兄貴」と言っている理由だ。で、きちがい兄貴の態度が、おやじの態度とまったくおなじなのである。きちがい兄貴の思考回路がきちがいおやじの思考回路とおなじなのである。きちがい兄貴の認知システムがきちがいおやじの認知システムとおなじなのである。きちがい的な意地でやったことは、きちがい的な意地で認めない。「やったってやってない」ことになっている。これが、ひっくり返らない。殺したって、ひっくり返られない。ほんとうは、よその家では絶対にありえないようなでかい音で鳴らしているのに……常に鳴らしているのに、……常に、普通の音で鳴しらている「つもり」なのだ。どれだけ言われたって、一秒だって、譲るつもりがないんだよ。自分がほんとうにゆずるというのは、絶対にできない。おやじとおなじで、譲るなら、自分が思ったとおりのやり方で譲るということになってしまう。きちがい思ったとおりのやり方というのが、相手にとってはまったく無意味で、トラブルをさらに引き起こすようなことなのである。けど、本人がやってやったら、「やってやった!!!やってやった!!」ということになって、譲らずに(もとの行為を)やってしまうのである。だから、やっているのに、本人はまったく問題がないつもりでいる。ぜんぜん、譲ってないのに、譲ってやったつもりになっている。こういうことが、いつもいつも、成り立っている。いつもいつも、繰り返される。頭を取り替えないと、そのままなんだよ。
ともかく、普通の人とちがう。普通の人は、「静かにしてくれ」と言えば、静かしてくれると思っている。 「だから、エイリさんが言わなかったのが悪い」というように考えてしまう。それを俺が否定しても、これまた、こういう人たちは、自分の「意見」をかえない。
常に、ボロボロだ。こっちは、ヘビメタ騒音で常にボロボロで、ほんとうに、20分の1の能力でやっと動いているような状態なんだよ。一切合切のよゆうがない。よゆうがない。これがどういうことだかわかるか?
親友のところでも言ったけど、ほんとうに他人は他人だから、俺の経験したことがわからない。俺の体のことがわからない。普通に見えれば普通に働けると考えてしまう。