いま、実在的にヘビメタでくるしい。いま、くるしい。そりゃ、ヘビメタ騒音を体験してないやつは、体験してないので、ヘビメタ騒音の影響がないわけだし、「他人のことなのでどうでもいい」という意味で、「関係がない」のだけど。ヘビメタ騒音がなかった人にとって、俺のヘビメタ騒音は「どうでもいいこと」なのだけど、だから、俺にとってヘビメタ騒音は関係がないとは言えない。
こういうのをごちゃごちゃにしているやつがいるんだよな。自分にとってヘビメタ騒音が関係ないので(ヘビメタ騒音の影響を受けてないので)エイリさんにとっても、関係がないと考えてしまうやつがいる。それは、自分がかつてヘビメタ騒音を経験しなかったということであり、いま、自分がヘビメタ騒音を経験してないということだろ。
で、俺とその人が別の個体だから、自分にとってはヘビメタ騒音が関係ないわけだろ。それと、俺にとってのヘビメタ騒音をごっちゃするなよ。「過去のことだから関係がない」と言っているやつは、みんな、ヘビメタ騒音の影響を受けたことがないやつで、なおかつ、エイリのなかでヘビメタ騒音の影響はない(はずだ)と考えているやつなんだよ。
ヘビメタ騒音の効果がその時に限られるはずだという頭がおかしい判断をしている。
その判断の根拠には、『自分がヘビメタ騒音を経験したことがないという事実』が影響している。自分の人生のなかでヘビメタ騒音がなかったので、「たいしたことはない」と考えしまうやつが、おかしがちな誤謬だ。
実際にやられなかった人にとって「関係がない」ことでも、俺にとっては関係があることなんだよ。「おまえ」にとって関係がないことだという事実と、俺にとって関係がないことだという考え……を、ごっちゃにするな。「俺にとって関係がないことだという考え」というのは、正確に言えば「いまのエイリにとって関係がないことであるはずだという思い込み」のことだ。「事実、関係がないことだ」という断定と「関係がないことであるはずだ」という推量はちがうのだけど、たぶんそういうことを言うやつは、そのちがいにこだわってない。
ヘビメタ騒音と書いたけど、きちがい兄貴による、ヘビメタ騒音だ。俺とおなじ量のヘビメタ騒音をあびたわけじゃないだろ。これも、きちがい野郎だと、自分は騒音に強いから、そんなのは平気だと、経験もないのに勝手に考えてしまう。
そして、それを「事実」だと思ってしまう。あほ。「俺だってヘビメタ騒音ぐらいある」と言う人もいるかもしれないけど、その人が経験したヘビメタ騒音と俺が経験したヘビメタ騒音がおなじだと言えるのかどうかということを考えたほうがいいよ。
ちがうでしょ。
俺の部屋にいっしょにいたわけじゃないだろ。
きちがい兄貴が鳴らすヘビメタ騒音が、『隣の部屋』の住人に与える影響なんて、わかっているわけじゃないだろ。