洗濯をしているさいちゅうだ。あとで、干す。しかし、どうしたもんだ。いろいろなことを考えてしまう。「相手が言ったこと」「俺が言ったこと」「あれはまずかったのかな」「言うべきではなかったのかな」「けど、言いたくなるよな」……などと、考えてしまう。
ヘビメタ騒音に関しては、とくに、そういうのがある。ヘビメタ騒音に関してはそういうことが多すぎる。多すぎる。「俺だってゲームのアトラクションでこわい思いをしたときがある」と言われて、けっこう、頭にきたんだよな。
けど、相手の気持ちを考えると、頭にくる必要はなかったかと思える。しかし、「その程度のことだと思うのか?」「そんなことじゃない」「それ一回だけと、毎日ずっと続いた騒音がおなじようなことであるわけがないだろ。
「何回、繰り返されと思っているんだよ」というようなことは、感じてしまった。
けど、これを言うと……言ってしまうと、きらわれるし、相手を傷つけることになってしまうんだよな。
まあ、 いいや。
ともかく、そういうことも含めて、不愉快な出来事が積み重なってしまう。長期騒音という、……騒音問題が……人間関係の問題に発展してしまう。
そして、ヘビメタ騒音は、俺の社会人としての生活を奪った。けど、ほかの人には、これが見えない。ギャップがある。これは、どれだけ親しい人でも、おなじだ。
ぼくが経験したヘビメタ騒音をおなじ部屋で経験してない人は、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する。「過去のことなら関係がない」「鳴り終わったなら関係がない」……「そんなことであるはずがないだろ」……。けど、他人にはわからない。
どれだけがんばったって、学校生活が破滅するし、社会生活が破綻する。頑張れば頑張るほど、社会生活ができなくなる。こういう必然性が、やられてない他人にはわからない。見えない。
(書いた時間と公開した時間はちがいます)