あれが鳴っていると、ほとんどすべてが不可能になる。やりたかったことがまるでできない。できたことが、できなくなる。自分が「はずかしい」状態になる。それだけで、どれだけのことがしょうじるか?
「あれが鳴っていると、ほとんどすべてが不可能になる」といった場合の「必然性」がほかの人には、まったくわからないのだ。まったくまったく、わからない。俺が、あてずっぽうで言っていることじゃないのである。必然的にそうなるのである。必然的にできなくなるのである。
あの鳴っている雰囲気はない。そして、鳴り終わったあとの雰囲気はない。そして、ほとんど眠れなかった状態で、次の朝になってしまったときの、くるしい状態はない。そして、くるしい状態なのに、むりをして、出かけたときの切羽詰まった気持ちといったらない。そして、帰ってきたときに、ヘビメタ騒音が鳴っているということがわかったときの、切羽詰まった気持ちといったらない。パニック。パニックになって、きちがい兄貴の部屋に行くために、階段をかけのぼり、「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」と怒鳴ったのに、まったくやめてくれなかった。あれ、その場で殺さなかったら、やめさせることができない。あいつは、おやじとおなじで!!つねに、そういう状態を俺におしつけてきた。もちろん、おやじとぉな字で!!つねに、「おしつけたつもり」なんてないんだよ。「おしつけたつもり」どころか、「やった」という気持ちがない。相手が「やめろやめろ」と怒鳴っていることを、発狂してやり続けたという記憶がない。けど、記憶はないのだけど、つねにそうする。この、記憶がないところまで含めて、「セット」だからな。しらばっくれる「セット」。