くそヘビメタのハンディが並じゃないんだよ。おまえら、わかってない。ほんとうに、同じ条件だったら……。みんなも、俺と同じように、この世で一番嫌いな音が一日中、爆音で鳴っている状態でくらすべきだ。そうじゃなければ、やられている俺が、やられていない、こいつらにバカにされることになる。どれだけのハンディになるかわかってない。やつらはわかってない。そして、ハンディなんてないという前提で、こっちの、能力を推し量るわけで、俺としてはゆるせない気持ちになる。きちがい兄貴がやめてくれれば、みんなとおなじように、この世で一番嫌いな音が一日中、爆音で鳴っているわけではない状態でくらせたのに。その状態での俺が、ほんとうの俺だ。けど、事実、鳴っている以上、だめなのである。そんなことを言ったってだめなのである。きちがい兄貴によって、ハンディを押し付けられた。障害を押し付けられた。こんなの、ない。何度も言うけど、普通なら、ありえないことなんだよ。あんな音でずっと、家族が鳴らしているなんてことはない。そして、親が文句を言わないということもない。(お母さんは、注意したけど、兄貴は、お母さんに注意されても聞かない。おやじは、ヘビメタ騒音のことは一切合切、無視だよ。)
午後五時は、鳴っている感じしかしない。これが、一一時まで続く。地獄だ。ほんとうに、きちがい兄貴がヘビメタに興味を持たなければ、こんなことになってないのに。きちがい兄貴がヘビメタに興味を持ったとしても、「自分が思ったとおりに鳴らす」ということにこだわりきって鳴らさなければ、こんなことになってないのに。きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではなく普通の兄貴だったら、こんなことになってないのに。
だいたい、こういうふうに「愚痴を書いている」と思われる行為をするのも、きちがい兄貴がこだわり続けて鳴らしたからだ。普通の人が理解できない、構造がある。「うち」の構造。きちがい兄貴の「頭」の構造。きちがいおやじの「頭」の構造。これ、きちがいおやじだって、かかわっている。脳みその構造が同じだということも、もちろん、影響を与えているのだけど、兄貴が鳴らし始めたら、きちがいおやじが逃げるように、文句を言わなくなったというのも、普通の人にはわからないことなのである。もっとも、そのまえから、きちがいおやじは、きちがい兄貴が大きくなったら、「おもしろくなくて」うちによりつかなくなった。俺が幼児のころ、きちがいおやじが怒り狂っていたという話をすると、「そんなに、怒りやすい人だったら、怒ったはずだ」と思ってしまうのである。「そんなに怒りやすい親なら、ヘビメタ騒音のことを注意するはずだ」と思ってしまうのだ。怒らなかったとしたら、俺の話のどちらかが、ウソなのだと思ってしまう。どちらかというのは、きちがいおやじが(俺が小さい頃)理由もなく怒り狂っていたということか、兄貴がものすごくでかい音でヘビメタを鳴らしていたということの、どちらかという意味だ。
俺と同じように、ヘビメタ騒音をやられたら、そりゃ、こだわる。これも、やられてない人はわかってない。軽く考えてわかってない。実際に、自分の身の上にしょうじたら、いやでも、わかることなのに……。実際には自分の身にしょうじなかったから、わからない。