ヘビメタで苦しいと言っているだろ。ヘビメタ「で」苦しいと言っているだろ。ヘビメタで苦しいんだよ。他のことじゃなくて、ヘビメタ、で、苦しいの。他のことじゃないんだよ。けど、ヘビメタの苦しさは、水銀中毒のように、他のことに影響をあたえる。ぬけない。時間がたってもぬけない。
ほんとうに、他の人とちがいすぎるんだよな。ちがいすぎる。他の人はきちがい家族がいないからきちがい家族の意地がわからない。他の人は、きちがい家族がいないから、きちがい家族の構造がわからない。ごく自然にそうなっているのだけど、本人は自覚がないんだよ。だから、やってないことになっている。やってないことになっているということも含めて、自然にそうなっている。だから、俺と兄貴とでは、認知がちがう。きちがい兄貴の行動に関する認知がまったくちがう。きちがい兄貴は、きちがいおやじと同じだから、こだわってこだわってこだわってやったことを、否定する。ほんとうは、やってくれなったことをやってやったと言い出す。絶対の意地でゆずらなかったのに、「ゆずってやったゆずってやった」と言うことになる。
俺は、去年と今年は、色々とあって「引きこもりの定義」からはずれる。けど、ヘビメタ騒音「で」睡眠回路が壊れ、ヘビメタ騒音で、めちゃくちゃ疲れやすい体になった。なので、基本的に通勤ができない。日本で、通勤ができないまま、無職状態でいると、それまであった人間関係が切れていくのである。これも、わからないだろうけど……。必然的に切れていく。まあ、日本労働教の影響と、ヘビメタ騒音に関する無理解の影響がある。どうしたって、ダイヤとの間に起こったことが、他の友達との間でも繰り返される。他の人は、俺から説明を受けても、実際に自分の体でヘビメタ騒音生活を経験したわけじゃない。「きいて、りかいしたこと」なのである。だから、俺のなかにあるヘビメタ騒音と、その人のなかにあるヘビメタ騒音は、ちがう。ぜんぜん、ちがう。まったく異なるものだ。そうなると、やはり、認知に差ができるのである。その差は、たとえば、仕事に対する考え方に影響をあたえる。俺が「むりだ」と言っても、むりだと思わないやつが、ずれた話をしてくる。そうなる。ごく自然にそうなる。
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ともかく、楽しくない。楽しくない。楽しくない。
あの女と付き合っておけばよかったか。けど、やっぱり、楽しめなかっただろうな。つまらないんだよ。その人のせいじゃないけど、こころがおどらない。ヘビメタ騒音でこころが凍りついている。おどらない。それに、ヘビメタ騒音で無職だったんだけど、自分は無職だと言いたくなかった。言いたくなかった。当時俺が三十五歳で、その女が二十歳だったな。
何度か一緒に歩いたけど、まったく楽しくなかったんだよな。ヘビメタで、なんていうのかな、つきあげるものがある。あとは、楽しくない。別にその女が悪いわけじゃないんだけどヘビメタ騒音でこころが凍りついている。本当に、昔だったら、わらえた冗談で、わらえない。