ヘビメタ騒音でつらい。
あの女の子となかよくしたかった。
ほんとうに、きちがい兄貴の脳みそのことがほかの人にはわからない。ほかの人にはきちがい兄貴の態度がわからない。きちがい兄貴も自覚してないけど、ほんとうにきちがいおやじとおなじ。「やったってやってない」が常に成り立っている。ほんとうは、こだわりつくして、絶対の意地で「でかい音で鳴らしている」のに「でかい音で鳴らしている」というつもりがなまったくない。認知・認識がまったくない。自覚がない。で、そういうふうに、きちがい兄貴がやりたいだけやってしまう「空間」が一度成り立つと、生活全部が、だめになる。あっちから、好みの女の子が告白してきたって、ヘビメタノイズでダメなんだよ。なんか、ヘビメタで中身がボロボロなのがばれて、相手が去って行ってしまうような感じがする。夕方だって、暗くなったばかりの夜だって、深夜だって、ヘビメタでダメなんだよ。「ヘビメタでダメだ」というのが、ほかの人には、わからない。これも、絶対わからないというレベルでわからないんだよな。そういうものだということは、ダイヤの反応でわかる。あれだけ、自分のことのように心配してくれたのに……。ほんとうに、ずっと俺と同じ部屋でくらしている人じゃないとわからない。そういう人がいなかったわけだから、俺以外のすべての人類が、ぼくの事情についてはわからないということになる。ほんとうに、やられたわけじゃないからさ。想像で補うしかないわけだから。そして、想像で補う場合は、事実とはまったくちがってしまうのである。
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いろいろな人から誤解を受けてきた。こんな人生ない。出版社社長のまるまるさんだって……。ヘビメタ騒音について誤解をしている。あとは、おなじことなんだけど、「自己紹介」ができなかった。自分はなになにだと言えない人間はあんまり信用されない。だから、ヘビメタ騒音で通勤・通学ができなくなったと言っているだろ。これ、兄貴の態度全般がわかってない人には、わからないことなんだよな。「そんなに影響を与えることであるはずがない」みたいな感じ方がある。 「騒音なんてものがそんなに影響を……」「家族の騒音なんてものが……」という考え方がある。「そんなの、静かにしてって言えばいいでしょ」というノリがある。軽い問題だと思ってしまうんだよな。そんなものじゃないのに。
ヘビメタ騒音歴九年目からなにもかもが、うまくいかないよ。「なにもかも」というのは、ヘビメタをやられてない人から見れば、イ・ラショナルなんだけど、俺のこころのなかでは、かならずしも、イ・ラショナルとは言えない。ほんとうに「なにもかも」と言いたくなるほど、広範な範囲が「おかされる」。そりゃ、やられたら、やられた体で生きているわけだから、「やられた」ということの影響下にある。その場合、やられたということの影響下にある時間がすぎていくわけだから、「なにもかも」と言いたくなる。「うまくいったこと」というのは、純粋に「うまくいったこと」ではなくて、「だめになったなかでうまくいったこと」なんだよ。それは、うまくいったことなのかというと、だめになったことなんじゃないかということだ。ともかく、他人が考えているよりも、範囲が広大だ。細かいことも、案外影響を受けている。そういうやりとりや結果が生じてしまうことに、影響を与えている。きちがい兄貴が何年間も毎日、きちがいヘビメタを鳴らしたということが、そういうやりとりや結果が生じてしまうことに、影響を与えている。
けど、たとえば、「いきているじゃないか」というようなことを「うまくいったこと」としてカウントするなら、たしかに、「なにもかも」「うまくいかなかった」というのは、イ・ラショナルな思考になる。しかし、しかし、しかし……ほんとうにそうなのだろうか?
いまですら、悪い影響を与えているというのは、事実だ。それは、「すべてがうまくいなかったわけじゃない。実際、俺は生きている」ということでは、くつがえすことができないことだ。じゃあ、言い方をかえよう。きちがい兄貴が、こだわりつくしてヘビメタ騒音を鳴らしたということが、俺の人生において生じた細かいことにまで影響を与えている。細部まで、ヘビメタ騒音の影響を受けている。 なにもかも、という言い方は、たしかに、誤解がしょうじる。すべてに影響を与えたというべきか。だって、それ以降のすべてに影響を与えている。体が影響を受けている。そして、影響を受けた履歴が出来上がる。影響を受けた履歴は影響を受けない履歴なのか? 影響を受けた履歴でしょ。
たとえば、相手がヘビメタ騒音の影響を軽視した場合、あるいは、無視した場合、相手に対してなんらかの感情が生じるんだよ。そうなると、その感情にしたがった、行為が誘発される。無意識的にしろ、意識的にしろ。無意識的なことに関しては、ぼくは、この場合……感知しない。だって、本人の無意識的なことなんて、わかるわけがないだろ。けど、影響を受けているのではないかというような予想はつく。
まあ、たしかに、「成功したこと」はある。しかし、それがまた、次のいやなことを生み出すのである。その場合、次のいやなことは、ヘビメタ騒音の影響をまったく受けてないことかというとそうじゃないのである。「成功したこと」は、じつは、ヘビメタ騒音が生じたから、「あなうめ」的に必要になったことなのである。めんどうなことなのである。ある時点で失敗したので、その失敗を「うめる」ためにやったことで、失敗の穴をうめたところで、失敗のほうにものごとが動いていることにはかわりがない。
ともかく、鳴りやまなかったので、くるしい。最初の日、鳴りやまなければならなかった。最初の日鳴りやんでくれたら、失敗の穴埋めをする必要もないんだよ。成功しているから。