たとえば、いじめられて、引きこもりになり、働けなくなった人がいたとする。この場合、いじめた人間が悪い。しかし、いじめた人間が責任を取らないのであれば、いじめた人間が責任を取らないことを放置した社会が悪い。なので、社会が、責任を取るべきだ。
なので、いじめられて、引きこもりになり、結果的に、生活保護をもらうようになった人は、なにも悪いことをしてない。生活保護を請求して、当然。社会は、生活保護費を負担して当然。
いじめられて、引きこもりになり、生活保護を受け取るようになった人のことを悪く言う人たちがいるけど、こういう人たちのほうが、悪い。なぜなら、彼らは、いじめられたほうの責任を追及して、いじめたほうの責任を追及しないからだ。これは、不当に被害者の責任を追及していることになる。なので、そういう悪いことを言う人たちのことはまったく気しないで、生活保護を受けるということが正しい。
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いじめの程度はじつは問題だ。だから、ほんとうは、いじめられた人が、生活保護を請求するのは、当然だというのは、場合による。しかし、もし、いじめと言われているものが、犯罪なのであれば、当然、犯罪を放置した社会に責任がある。なので、そういう場合は、社会が責任をとって、生活保護を支給するべき。
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まあ、生きていればいいというものでもないけど、社会に対する責任追及をして、生きようとするのは、少なくても間違いじゃない。なので、いじめられて、結果的に引きこもりになり、引きこもりになった結果、たいへん働きにくい状態になった人は、生活保護を請求するべきである。
いじめられた人の自己責任だと、いじめられた人を悪く言っている人は、自分が悪いことをしているということに気がついてない。しかし、責任がない人に対して、責任を追及するのは間違っている。なので、いじめられたことがきっかけになって、生活ができなくなった人は、自己責任論者の言うことを、気にするべきではない。
だいたい、こういう自己責任論者は、たいていの場合「自分の問題と他人の問題を切り分けるべきだ」と考えるようなアドラー心理学に親和的だ。なので、自分の問題と他人の問題を切り分けて、自己責任論者が言うことを無視するのが正しい態度だ。
言い換える必要があるか? ともかく、自己責任論者は、過剰に、被害者の責任を追及している。なので、被害者は、自己責任論者の言うことを、気にする必要がない。自己責任論者は、自分に関係がないことに口出しをしているにすぎない。
ぼくも、自分に関係がないことに口出しをしているけど、それは、ぼくが自己責任論者ではないからである。ぼくの場合は、矛盾がない。
しかし、もし、自己責任論者が、普段は、他人の問題と自分の問題を切り分けているのであれば、自己責任論者は、矛盾した行動をしていることになるので、そういう行動をつつしむべきである。
だいたい、すべては自分の責任であるという意味で、自己責任論を語っている人なのであれば、生活保護という制度を維持している社会に住んでいるのは、(その人の)自己責任なのである。
さらに、自己責任という理論を展開するのであれば、違法な生活保護受給者がいるということに関しても、「その人の責任」なのである。「その人の責任」というのは、この場合、「その自己責任論者の責任」だということだ。「すべては自己責任」なのだから、違法な生活保護受給者がいる社会に住んでいるということに関しても、「すべてが、自己責任」だと言っている人の責任だ。
もし、不正受給者がいることで、本人(自己責任論者)がなんらかの被害をこうむるというのであれば、それも、本人(自己責任論者)の責任である。他人がなにかをすることによって、本人が「損」をするにしても、それは、本人(自己責任論者)の責任だ。なぜなら、「すべては自分の責任」だからだ。他人がやることによって、自分が損をしたとしても、それは、自分の責任なのである。
もし、そうでなければ、すべては自己責任という意味での自己責任論が成り立たないことになる。もちろん、本人の範囲においてはという条件がつく。この場合の「本人」というのは、その自己責任論者のことを意味している。