ぼくは、ほかの人たちとはちがう状態になっている。そりゃ、楽しめない。ちがうんだよな。経験してきたことがちがう。家族がちがう。こんど、うまれかわったら、きちがい兄貴ときちがいおやじがいない人生を歩むんだ。
もう、今回はだめだろう。ヘビメタ騒音がでかすぎる。毎日、きちがいヘビメタ騒音が鳴っている生活というのがほかの人にはわからない。きちがい兄貴の態度全体も、たぶん、まったくわからない。そうなると、俺がほかの人に誤解される『世界』ができあがる。避けようがないんだよな。避けようがない。ほかの人は想像で「避けようはある」と言うかもしれないけど、ない。ほんとうに、きちがい兄貴を殺してしまえばよかったな。殺したら、案外、佐藤みたいなやつは、こっちの味方になってくれるかもしれない。けど、殺さずにこたえたら、敵になる。ヘビメタ騒音の影響を無視して、日本労働教徒の考え方を押し付けてくる。佐藤も、由紀夫も、ヘビメタ騒音がどういうものかわかってない。ヘビメタ騒音生活全体がどういうものか、わかってない。過小評価しすぎ。ヘビメタ騒音の影響を過小評価しすぎ。俺はNHKに教育関係の論文を送ったら、言いたいことがあるなら、番組を作ってあげるみたいなことを言われた。けど、そこで問題なのが、俺が無職・ニートだったことだ。これ、出版のときもおなじなんだよな。きちがい兄貴がいない状態で、俺が普通に、大学に行って、大学院に行って、そこそこ活躍していたら、「職業を聞かれて困る」ということがなかった。これ、けっこう、でかいんだよ。普通のコースを歩めた人間にしてみれば「そんなの、なんだ?」「そんなの関係ない」と言えることなんだけど、普通のコースを歩めなかった人にしてみればでかい問題だ。きちがいヘビメタ騒音の数千日が重い。重すぎる。毎日、普通じゃなかった。毎日、ヘビメタ騒音でズタボロだった。毎日、何時間も何時間も発狂して疲れ果てていた。そして、疲れ果てたあと、気分がきゅーっっと冷えて、死にたくなっていた。寝る前まで、きちがいヘビメタで加熱され、寝る時間になったら、きちがいヘビメタは終わるけど、俺の気持ちと体は、急速にひえて死にたくなっていた。毎日、それだ。
俺は、中学生のとき、職業は聞かれないけど!!!本質的には「おなじような思い」をしてきた。ばつのわるさ。「自分はこれこれである」と言えない、もどかしさ。きちがいヘビメタでほんとうに、ばつのわるい思いをしてきた。メンツがたたない思いをしてきた。それなら、それを跳ね返して……と思うだろ。けど、そんなこと、どれだけ思っても、ヘビメタ騒音でかき消されてしまう。俺がどれだけ、跳ね返すことにこだわってきたと思っているんだよ。その緊張が……はっきり言えば……全体的なうつ感情を引き起こしているんだよ。全体的な破滅の感情をひきこ起こしているんだよ。意欲の低下を引き起こしているんだよ。
それを……「跳ね返せばいい」というような「根性論」を言う人は、ぜんぜんわかってない。
憂鬱な状態や破滅感は、ヘビメタ騒音だけで醸成されたものじゃない。できあがったものじゃない。ヘビメタ騒音と「跳ね返さなければ(ならない)という緊張」の綱引きで出来上がったものなんだよ。作用と、反作用なんだよ。作用と反作用で、引き裂かれていく。ズタボロになっていく。もっとも、「跳ね返さなければならない」ときちがい兄貴にどれだけぶつかっても、きちがい兄貴の頭がきちがいおやじの頭とおなじだから、殺さなければ、まったく気にしないでやり続けるということになってしまう。実際、きちがい兄貴はそうした。だから、俺が自分の部屋に入って、きちがい兄貴のヘビメタにさらされながら「跳ね返さなければならない」という気持ちで、教科書を見たとき……緊張の度合いが強烈に強くなってしまうのである。頭が、まわらない状態、胸が引き裂かれるような状態で教科書を見たって、「負の効果」しかない。教科書を見た……教科書を読んだ……教科書に書いてあることを記憶しようした……そういうことが、きちがいヘビメタのなかで、どれだけ負の体験になるかわからない。こんなのは、ほんとうにやらないほうがいいのである。ヘビメタ騒音のなかで、頭がめちゃくちゃで、胸が引き裂かれるような状態で「しようとした」というのが、まちがいなのである。けど、じゃあ、やろうとしないとどうなるかというと、まあ、「やろうとした」状態よりはよいのだろうけど、ヘビメタ騒音のなかでぐちゃぐちゃな状態だ……あるいは……発狂したい気分でそれをおさえて、煮えくり返っている状態……だというのは、かわらないのである。それは、酒を飲むと酔っぱらう……というような反応なんだよ。これもわからないと思うけど。意志教の人は、「どんな状態だって勉強なんてできる」と言うだろうけど。薬を飲めば体が反応する……毒を飲めば体が反応する……。それと同じように、ヘビメタがきちがい的にでかい音で鳴っていると、体が反応する。酒に弱い人が、酒をがぶ飲みして、酒の影響を受けないようにしようとしても無理だ。「影響を受けないぞ」というような強い意志を持ってがぶ飲みすれば、だいじょうぶだ……なんてことはない。急性アルコール中毒で、たおれてしまう。毒物に対する「生物的な体の反応」だから、そうなる。それを、意志教の連中は、漫画やアニメの主人公になったつもりで、想像の翼をはためかせて、見当はずれなことを言ってしまう。これは、こっちにとっては、屈辱なんだよ。だいたい、そういうやつは、俺の部屋でくらしたわけじゃない。俺とおなじヘビメタ騒音をあびてない。きちがい兄貴の態度がわかってない。俺の部屋で何年間もくらしてから、そういうふうに言ってくれよ。俺も、六か月目あたりまでは根性論みたいなことを、こころのなかで言っていた。根性論みたいなことを考えていた。根性論みたいなすごい想像をしていた。跳ね返す想像をしていた。けど、七か月、八か月……一年、二年、三年と続いて……ぼろぼろになって、「そんなのはうそ」だなというのがわかってくる。単なる気分の産物なんだなというのがわかってくる。単なる想像の産物なんだなというのがわかってくる。