眠れない。幼稚園、うるさい。
俺はほんとうにどうなってしまうのだろう。
俺のことなんて気にしているのは、俺だけなんだよな。
けど、ヘビメタ騒音の雰囲気がぬけない。なので、こまっている。 なにをやるにしてもおなじなんだよな。この雰囲気がきえない。ほかの人はもちろん、関係がない。わからない。けど、どこに行くにしろ、なにをやるにしろ、ヘビメタ騒音の雰囲気なんだよ。幼稚園は、うるさいといっても、たいしたことはない。ほかの人にはまったくわからないことなんだよな。俺は、長期騒音がはじまってから、現実感がない。悪夢のような毎日だ。これが自分の人生だとは思えない。思えない。
一日のなかで、時間感覚がおかしいのだけど、人生のなかでも時間感覚がおかしい。何十年も前のことがついこのあいだのことようだし、数か月前のことが、なんか、数年、前のことに感じる。 本当、ヘビメタ騒音がはじまってから、はじの多い人生になった。で、なんていうのかな?ヘビメタ騒音のことを言っても、ヘビメタ騒音のことを言わなくても、あんまり、結果はかわらない。「俺がお兄さんに注意してやる」と言ってくれた友達はふたりいたけど、俺が断った。俺が断った……。
どのみち、兄貴は、だれの言うことも聞かない。かりに、友達が注意して、静かにした?にしろ、友達が帰ってしまえば、それでおしまいだ。だいたい、電車賃まで、相手が出すとか言ってたんだけど、さすがに悪すぎる。
まあ、きてもらったほうがよかったのかな。どのくらいの音で鳴っているか、証人がひとり、増えた。まあ、ふたりなんだけど。
きちがい兄貴の脳みそはおやじとおなじだから、第三者がいる場面と、第三者がいなくなって、うちだけの人になった場合の場面が、つながってない。ほかの人の前で言ったことなんて、関係がないんだよ。その人が、帰って、目の前から消えちゃえば。それから、「静かにしたつもり」で、ものすごくでかい音で鳴らすということになると思う。
「静かにしたつもり」で、自分の耳が悪くなってしまうような爆音で聞くんだよ。おやじとおなじだから、それで、ほんとうに「静かにしてやったつもり」になる。本人のなかでは、「可能な限りゆずった」ということになってしまう。おやじの譲歩も、兄貴の譲歩も、トラブルしかうみださない。どけちぶりを発揮して、わざと、意地悪で、しらばっくれて、やっているのではないかと思うようなことを、する。悪気なく、する。本人は、真面目なんだよ。どんなに、小さな譲歩でも、譲歩してやったら、譲歩してやったことになる。きちがい兄貴のなかでも、きちがいおやじのなかでも……。
ほんとうに、きちがい兄貴の譲歩は、おやじのハンダゴテとおなじ。そういうときの態度が、ぜんぶ同じなんだよね。そして、自分の気持ちしかない。「やめてくれ」と言われたら、発狂して、真っ赤な顔をして、無言でやり続ける。けど、やったことになってないんだよ。ほんとうに、「つもりがない」。ものすごく言いにくいのだけど、「やった」という事実がないことになっている。あるいは、発狂して、基本的なことを否定して、おしまいなんだよ。この場合も「つもりがない」。相手が自分のやっていることで、こまっているという認知が、一切合切しょうじない。何万回言われても、言われたときに、発狂して、「相手がこまっている」という認知が、一切合切しょうじない。発狂したところで、「はねのけている」。相手がこまっているという認知をはねのけている。だから、言われたとたんにそういうモードになるから……言われたとたんにそういうスイッチがはいるから……何万回言われても、言われたことになってないのである。だから、自分がやったことで、相手が宿題をすることができなかったから……学校で恥をかいたということを、聞いても、まるで、心が動かない。おやじの反応と兄貴の反応がおなじ。おやじの場合は、兄貴が、ちゃんとしたハンダゴテを持っていけなくて、恥をかいたということを、じかに聞いても、まったくわからない。兄貴も、兄貴のヘビメタ騒音で宿題ができなくて、学校で恥をかいたということを、じかに聞いても、まったくわからない。最初に、「静かにしてくれ」と言われたときの態度と「恥をかいた」ということを聞いたときの態度がおなじ。そのくせ「心配してやった」というような恩着せがまいし態度がある。この態度がまた、頭にくるんだよ。相手にとって一番肝心なことを吹っ飛ばしておいて、 頑固に認めないで虐待するように、いじになってやったくせに……「心配してやった」「しんぱいしてやった」ということになる。これも、きちがいだから、意地悪でそうしているわけではないのだ。自分がやっていることを補うように、相手にとってどうでもいいことを、「心配してやって」それで、イーブンにするという心理的な機制がある。
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