ここで、考えを整理するためにふたつの場合について考えてみよう。
子供が自然に精神病になった場合。……ほんとうに親のせいではない。……(4)
子供が親のせいで精神病になった場合。……ほんとうに親せいである。……(5)
子供が自然に精神病になった場合は、親のせいではない。子供が自然に発達障害になる場合、親のせいではない。子供が自然に妄想を抱くようになった場合、親せいではない。
しかし、子供になんらかの障害がある場合、よその人が親のしつけが悪いからそうなっているではないかと考えてしまう場合がある。ようするに、「よその人」という要素が付け加わる。親が白なのに、親が黒だと思う人たちは、無実の親を追及することになる。
たとえば、多動型の自閉症スペクトラム障害の場合、ものすごく、わがままなことを言って荒れているように思われる場合がある。たとえば、多動型の自閉症スペクトラム障害である子供が自発的にやり始めたことを、親がやめさせようとすると、子供が騒ぐということがある。その場合、よその人は、「親が子供をあまやかせているから、そんなふうになるんだ」と思ってしまうことがある。
もちろん、家の中でそういうことが発生する場合が多いのだけど、電車のなかとか公園などでそういうことが発生する場合もある。その場合、よその人が、その状態を見て、親があまやかす「から」だめなんだと判断してしまうということが発生する。これは、親は白なのに、よその人が、障害の特性をよく理解していないので、偏見に基づいてそう考えてしまう場合だ。
いままで、親が白である場合とか、親が黒である場合について述べてきたが、これは、ぼくがここで述べているので、「親が白」とか「親が黒」ということが決まっているのである。実際には、医者やカウンセラーが判断することが多いのだけど、それも、その特定の社の目にはそううつるということだし、その特定のカウンセラーの目にはそううつるということしか意味してない。子供が神経症になっていたとしても、それは、絶対に親のせいではないという、信念を持っているカウンセラーは、親が黒である場合も、親が白であるとみなして、子供側の人に助言をすることになる。つまり、子供側をカウンセリングすることになる。その場合、そのカウンセラーは、間違った判断をして、間違った助言をしているのだけど、特定はできないということになる。どうしてかというと、こういう論考で、書いているときには、親が黒である場合について述べているということが、読者にもわかるのだけど、実際には、原因は不定のままだからだ。精神分析に傾倒しているカウンセラーなら、親が黒である場合を考えているので、親が黒である場合は、親が黒であるということを探り当てることができるだろうけど、認知療法に傾倒しているカウンセラーは、「原因なんて関係がない」と考えるので、親が黒であるということは、考えない。この場合は、自動的に親は白になる。世間的には、「悪者を探さず」「親を悪者にしないで」「現実的な対処法」を考える認知療法に傾倒しているカウンセラーは、よい存在だと思われるだろう。しかし、彼らは、最初から「可能性」を排除しているという点で、間違いをおかしている。なんの可能性かというと親がその症状の原因である可能性だ。また、症状を解決するためには「原因について考える必要がない」と考えている点で間違いをおかしている。原因を考えなくても対処療法で解決できる場合もあるが、原因を考えないと解決できない場合もある。原因を考えなくてもいい場合と、原因を考える必要がある場合があるのであれば、最初から、原因を考えなくてもよいとする態度をとるのは、問題がある。