もと親友にしろ佐藤にしろ由紀夫にしろ、俺が「できない」と言っているのに、「できない」ということを無視して「そこをなんとか(できるようにして)やってくれ」ということを言ってくる。俺は、「もう、ヘビメタ騒音で、できなくなった」と言っているだろ。
俺が「もう、ヘビメタ騒音で、できなくなった」と言っているのに、「人間は働くべきだ」と言ってくる。「もう、できなくなった」という部分を無視してくる。こういうやつらは、みんな、ヘビメタ騒音を経験してない。数千日の、ヘビメタ騒音生活を経験してない。
どれだけ、睡眠時間がずれるか、どれだけ睡眠時間がなくなるか、わかってない。鳴らされている最中の、せっぱつまった時間のことがわかってない。せっぱつまった時間が何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続くと、「どーーしても眠れなくなる」ということがわかってない。
鳴らされているあいだも勉強ができないし、じつは、そのあとの時間も、勉強ができくなる。勉強ができなくなると、当然、ヘビメタ騒音がない本来の値より、学力が下がるのだけど、学力が下がった場合の、屈辱生活がわかってない。
ヘビメタ「で」そうなっているということが、ほかの人にはわかってない場合の!!生活というのが!!!わかってない。やられてないから、わかってない。俺が「そういうことになる」「こうだ」と言っても、実感がわかないので、わからない。無視する。ヘビメタ騒音の「負の効果」を徹底的に無視する。
それこそ……きちがい兄貴やきちがいおやじじゃないが「あったってない」のだ。
そして、「ない」「負の効果なんてない」ということを前提にして、「人間は働くべきだ」と言ってくる。
あるいは「そんな人はいない」と言ってくる。「そんなの人はいない」というのは、「あなたの父のような人はいない」「あなたの兄のような人はこの世に存在しない」ということだ。
こいつらは、根底では「あなたはうそを言っている」「あなたは、あなたの兄やあなたの父のことを不当に、悪く言っている」と思っているのだ。「不当に、悪く言っている」というのは、「事実ではないことを言っている」ということだ。事実なのに……。
こいつらは、信じない。
信じないで、「そういうことはなかった」という前提で、説教をしてくる。これが、普通の人間のやることだ。ある意味、レベルが高い、哲学や教育学に興味がある洗練された人たちのやることだ。専業主婦や定年退職者がやることだ。
専業主婦や定年退職者はともに無職なのに、ヘビメタ騒音で、しかたがなく無職になった俺を、邪険にあつかう。専業主婦や定年退職者には、自分たちは無職じゃないという特別な意識がある。そして、共同幻想がそれを支持している。ヘビメタ騒音「で」働ないということは、共同幻想によって、認められてない理由なのである。
「もう、じゅうぶんに働いたので無職でもいい」という理由は共同幻想によって、認められた理由なのである。「こどもを育てているから無職でもいい」という理由は共同幻想によって、認められた理由なのである。
この人たちは、ヘビメタ騒音のひどさがまったくわかってない。
どれだけ健康な人でも、数千日、ヘビメタ騒音が続けば、働けなくなるということが、からだで、わかってない。からだで、わかってなければ、わからないことなのだ。「そんなのはない」ことなのだ。