起きたときの、孤独感が半端じゃないな。
ウトウトしていた。ウトウトしていたなどと、書くと、なんかのんびりしてて、よさそうだが、よくない。
ほんとうに、ヘビメタ騒音で、まるでちがうんだよな。ぼくは他の人とまるでちがう。他の人の精神状態と、ぼくの精神状態はまるでちがう。
ちがうので、ちがう。
ちがうので、他の人の言っていることがまるで、参考にならないんだよな。そういうところがある。俺だって、楽しみたい。楽しみたい。
けど、これが、ヘビメタ騒音にやられて、まるで、だめになった。どうやっても、楽しめない。他の人は、一〇年以上の気違い騒音生活をしていない。なので、ぼくとはちがう。ちがうので、ちがう。他の人が言うことは、気違いヘビメタ騒音に一〇年間やられてない状態のぼくなら、賛成できることだ。
けど、一〇年間やられたあとは、賛成できない。それから、たとえば、『元気だ元気だと言えば元気になる』とか『むりやりでもいいから、声出してわらえば、楽しい気分になる』とかと言う人がいるけど、それは、ヘビメタ騒音が鳴っているときに、ためしたことだ。
ヘビメタ騒音が成り終わったあとも試した。
けど、俺の気持ちを破壊するような効果しかない。そういう人たちは「やってみなければわからないだろ」と言う。「なんでも、そうやって否定して」と言う。けど、ちがうんだよ。ちがうの……。まちがっているのは、そっちなんだよ。勘違いしているのはそっちなの……。
どうして、ヘビメタ騒音という要素を見ないのか?
俺が言っているだろ!!
言われても、わからないからわからないんだろうと思う。ヘビメタ騒音の影響を無視するから、俺が言っていることがわからなくなる。
俺が『やってもしないで、ただ否定したいから、そう言っている』と思ってしまう。ちがうんだよ!!
いずれにせよ、そういう『楽しい人達』は、否定されるとやっぱり、不愉快な気持ちになるわけだろ。俺に対して、あんまりよくない感情を抱くわけだろ。けど『ヘビメタ騒音』の影響を無視して、勘違いしたことを言っているのはそっちなんだよ。
けど、そういうレベルでも他の人と話があわなくなる……。俺がもし、気違い家族よる、しつこい!しつこい!!騒音を経験してなかったなら、ちがうんだよ。
そういう人たちの言っていることに、賛成できた。
けど、気違い兄貴のヘビメタ騒音を経験して、とてもじゃないけど、賛成、できなくなった!!!!
なので、そういうところにも、影響を与えているんだよな。ヘビメタのすさまじさが、わからない。他の人たちにはわからない。
ヘビメタだって好きな人はいる。そういう人たちは、自分が一番この世で嫌いな音が、九〇デシベル付近の音で毎日ずっと鳴っている状態というのをか想像してほしい。けど、まあ、これが、『想像」と『現実』はまるでちがうんだよな。経験しないとわからない。一日じゃだめだぜ。一〇〇日、一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日。四〇〇〇日。五〇〇〇日経験しないとだめだ。そして、やっているやつは、『家族』でなければならない。そして、九〇デシベル付近の、自分の耳が悪くなるような音で鳴らしているのに、こんなのは、三味線ぐらいの音だと本気で思えるようなやつじゃないとだめだ。
ぜんぜん静かにしてやってないのに、〇・一デシベルでも、落として我慢してやったら、『我慢してやった!!我慢してやった!!』『ゆずってやった!!ゆずってやった!!』『静かにしてやった!!!静かにしてやった』と本気で思えるようなやつじゃないとだめだ。『我慢してやった!!我慢してやった!!』『ゆずってやった!!ゆずってやった!!』『静かにしてやった!!!静かにしてやった』と思いながら、弟の入学試験前日に、一三時間ヘビメタを『自分が思った通りの音で』鳴らし続けても、なにも感じないやつじゃないとだめだ。
本当に、『ゆずってやった』と思っているのである。一三時間鳴らしているのに、一〇分間、〇・一デシベルでも静かにしてやれば、『静かにしてやった』『ゆずってやった』と本気で思える。思っている。
そういう頭の構造。そういう脳みその機能障害。感覚器を総動員して、自分をだましている。感覚器を言い換えている。普通なら絶対にわかることを、否定する。普通なら絶対に、わかることがわからない状態になっている。耳が正常なら絶対にわかることが、わからなくなっている。自分が無意識的に、やりたいなら、そうなる。感覚器の情報を書き換える。もし、「やりたい」という気持ちがないなら、絶対に、でかい音だと感覚できる。認知できる。認識できる。自分が『思いっきり、でかい音で鳴らしたい』という気持ちがあると、途端に、感覚器がおかしくなる。『そんなんじゃない』ということになる。『でかい音じゃない』ということになる。『三味線ぐらいの音だ』ということになる。物理的な音の大きさなら三味線より、一〇万倍でかいよ。
気違い兄貴に言っておく。おまえ、おやじにそっくりだよ。やっていることが、同じ。うりふたつ。やり方が同じ。考え方が同じ。感じ方が同じ。自分がやりたいことは、発狂して夢中でやってしまうけど、本人はやったつもりがないというところが、そっくりなんだ。ゆずってないのに、時間がたてば「ゆずってやった、ゆずってやった」と言うことになる。そういうふうに言った日だって、静かにしない。ゆずらない!!
けど、本人は、本当に気にならない。どれだけ言われても、言われたときだけ、真っ赤になって、怒っておしまいだ。絶対の意地でやりきる。やりきるけど、やったことになってない!!
これ、ほんとうに、やっている相手で、話が違ってくる。騒音の主観的な大きさがちがってくる。騒音の『負の効果』の大きさがちがってくる。